源頼朝(みなもとのよりとも)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家、鎌倉幕府の初代征夷大将軍
裏切った末弟 源義経(牛若丸)の追討のために、全国へ守護・地頭を設置し、全国を平定する
征夷大将軍の任命を強行に反対していた後白河法皇の崩御後に、征夷大将軍の任命され、鎌倉幕府初代将軍となる
<神護寺>
絹本着色 伝 源頼朝像(国宝)
日本の肖像画史上の傑作とされる
「神護寺略記」の記述などをもとに、源頼朝・平重盛・藤原光能とされているが確証がなく、国宝の指定名称にも「伝」の字が付されている
勺(しゃく)を手に、剣を帯し、束帯をつけた公卿姿坐像
平安時代末頃の作品で、作者は、似絵の名手 藤原隆信とされている
<将軍塚大日堂>
「源平盛衰記」によると
源頼朝が挙兵する前年、1179年(皇紀1839)治承3年7月には、3度、この将軍塚が鳴動し、その後、大地震が起こったといわれる
<後白河天皇>
源頼朝と後白河天皇とは、平氏追討では一致したが、個々の政策や人事では対立することが多く、源頼朝追討の宣旨を受けたこともある
全国を平定後に行われた後白河法皇との交渉においても、征夷大将軍に任じられることはなかった
源頼朝は、後白河天皇のことを「日本国第一の大天狗」と称したといわれる