中岡慎太郎(なかおかしんたろう)(Shintaro Nakaoka)

幕末維新土佐藩出身の尊攘派志士、陸援隊隊長

生年:1838年(皇紀2498)天保9年4月13日
没年:1867年(皇紀2527)慶応3年11月17日
享年:30

父親:北川郷の大庄屋 中岡小傳次
長男
母親:はつ

名:道正(みちまさ)
通称:光次、慎太郎、福太郎(福五郎)
号:遠山・迂山など
変名:石川清之助(誠之助)、大山彦太郎など

官位:贈正四位

出身:土佐国安芸郡北川郷柏木村(現在の高知県北川村柏木)
お墓:京都霊山護国神社など

 中岡慎太郎(なかおかしんたろう)は、幕末維新土佐藩出身の尊攘派志士、陸援隊隊長

 坂本龍馬らと共に薩長同盟の締結に尽力するが、近江屋事件で暗殺される

【中岡慎太郎の歴史・経緯】

【中岡慎太郎】

 幕末維新土佐藩出身の尊攘派志士、陸援隊隊長

 坂本龍馬らとともに薩長同盟の締結に尽力する

 近江屋事件で、幕府の京都見廻組に暗殺される


 <陸援隊>
 中岡慎太郎によって、京都で編成された武力討幕のための浪士隊
 土佐白川藩邸を本拠とした
 坂本龍馬海援隊とともに土佐藩に属する遊軍で、海援隊と併せて「翔天隊」と称される




【中岡慎太郎ゆかりの地】

 <京都霊山護国神社
 坂本龍馬や中岡慎太郎のお墓がある
 右側に中岡慎太郎、左側に坂本龍馬、左奥に下僕 藤吉
 右側には、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像が置かれている

 11月15日には、墓前にて、龍馬祭(土佐藩招魂社祭、墓前祭)が行われる
 坂本龍馬、中岡慎太郎が、下僕 峰吉に軍鶏肉を買いに行かせている間に遭難し、軍鶏鍋を口にすることなく亡くなったことから、
軍鶏鍋の一番汁を墓前にお供えされ、参拝者にも振舞われる
 軍鶏肉は、中岡慎太郎の郷里 高知県安芸郡北川村より寄進される


 <坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地
 醤油屋「近江屋」跡の北隣に石碑が立つ
 中岡慎太郎と坂本龍馬京都見廻組の襲撃を受け殉死した近江屋事件の地


 <中岡慎太郎寓居之地
 中岡慎太郎が、脱藩後に住居とした土佐藩御用達 書林菊屋(鹿野安兵衛宅)の跡
 四条河原町通を上がった東側の商店街の商店前に石碑が立つ


 <稱名寺
 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地の醤油商「近江屋」の真裏にある寺院
 坂本龍馬が仮寓していた土蔵からは、緊急避難用に稱名寺へ逃れられるようハシゴがかけられていた
 近江屋事件当日は、腹風邪のために母屋に移っており役に立たなかったといわれる


 <小松帯刀寓居跡御花畑屋敷跡)>
 中岡慎太郎らの仲介によって、6か条の薩長同盟が結ばれたところ
 薩摩藩邸から500m程離れた薩摩藩小松帯刀の屋敷


 <霊山歴史館(幕末維新ミュージアム)>
 幕末維新の幕府や倒幕・佐幕両派の総合資料館
 中岡慎太郎や坂本龍馬などの遺品・各種資料・文献などが公開展示されている


【中岡慎太郎の銅像】

 4カ所に銅像が立てられている

 <円山公園
 公園の南東寄りに、坂本龍馬と一緒に銅像が立てられている
 三条大橋東詰の高山彦九郎亀山公園角倉了以と並んで「京都三大銅像」の一つとされる

 <京都霊山護国神社
 坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓の右側に二人の銅像が立てられている

 <室戸岬(高知県)>
 <中岡慎太郎館(中岡慎太郎生家)(高知県)>

【その他】

 <最期の言葉>
 「天下の大事はひとえに岩倉公が負荷せられんことを願うのみ


 <時代祭 時代行列 維新志士列>
 幕末維新明治維新の立て役者となった志士計14人
 坂本龍馬や、桂小五郎、中岡慎太郎などが登場する


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