織田信秀(おだのぶひで)は、戦国時代の尾張国の武将
織田信長の父親
尾張下四郡(尾張半国)を支配し、足利三管領の一つの斯波氏に属する守護代 織田大和守家の一族
湊町として繁栄していた津島や商業都市の熱田を支配下に置き、その経済力で主家や他の織田一族を凌駕していくが、
尾張国全域を支配することはできなかった
<京都御所>
1543年(皇紀2203)天文12年
応仁の乱で荒廃した内裏を、後奈良天皇の要請を受けて、修理費4000貫を献上し復興される
<伊勢神宮>
1541年(皇紀2201)天文10年
遷宮にあたり、材木や銭七百貫文を献上した
<黄梅院>
1562年(皇紀2222)永禄5年
織田信長が初めて入洛したとき、父親 織田信秀の追善菩提のために、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に命じて創建された
<織田信長>
織田信秀の三男(次男ともいわれる)だが、嫡男として育てられる
<大名茶人 有楽斎如庵>
織田信秀の11男で、本名 織田長益(おだながます)
兄 織田信長の死後、剃髪し、千利休に師事して茶の湯の宗匠となる、利休十哲の一人
<お犬の方>
織田信秀の娘
佐治信方の正室、死別後、細川昭元の正室となる
<お市の方>
織田信秀の娘 秀子
浅井長政の継室となり、茶々(豊臣秀吉の側室)、お江(徳川秀忠の継室)などをもうける
浅井家が滅亡後、柴田勝家の正室となる