坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代初期の武官
陸奥守、征夷大将軍として蝦夷の地の平定などで功績をあげ、大納言となる
清水寺を創建する
<清水寺>
坂上田村麻呂と妻 高子は、千手観音菩薩を造り、それを祀るために自邸を本堂として寄進したといわれる
征夷大将軍となった坂上田村麻呂は、その千手観音菩薩の加護の御利益を得て、無事に東国蝦夷を平定し、
都に帰ることができたといわれる
<地主神社>
坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、田村麻呂大刀一振りが地主神社に奉納される
坂上田村麻呂も祀られているともいわれる
<許波多神社>
坂上田村麻呂が、東征に前に戦勝を祈願したといわれる
<青蓮院将軍塚>
桓武天皇が、平安遷都に際し王城鎮護のため、高さ八尺(約2.4m)の将軍像(征夷大将軍 坂上田村麻呂といわれる)に
鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせて、太刀を佩かせて、都の方に向けて埋めたとされる
<西野山古墓>
嵯峨天皇は、詩などを贈りその死を悼んでおり、栗栖野(山科区)にある円墳に葬られたといわれる
<毘沙門の化身>
身長5尺8寸(約175cm)、胸の厚さ1尺3寸(約40cm)、赤ら顔で目は鷹のように鋭く、
黄金色のあごひげがふさふさしていたとわれ、「毘沙門の化身」と称された
東山粟田の別荘で病気により亡くなるが、王城に向かい、武具姿で立ったまま棺に納められたといわれる
<坂上田村麻呂伝説>
全国各地に、鬼や盗賊、怪物など「田村麻呂が○○を退治した」という伝説が残っている
<能「田村」>
<謡曲「田村」>
<浄瑠璃「田村三代記」>
<「田村草紙」>
坂上田村麻呂の伝説や逸話を集めて再構成された物語
<時代祭時代行列>
延暦武官行進列は、坂上田村麻呂の出陣の行装を表す
きらびやかな金小札(きんこざね)の甲冑
金作りの直刀をおび、白葛のやぐないを背負い、金銅の弭(ゆはず)をする
木地に漆画を施した鞍橋に、金銅の杏葉銜(きょうようのくつわ)に赤革の鞦(しりがい)の馬に乗る
従者には、金物の槻の丸木弓を持たせ、矛持、弓持を従えている