坂田金時(さかたのきんとき)は、平安時代中期の武将で、源頼光の四天王の一人
駿河国と相模国の国境の足柄山で育った金太郎のモデルとなっている
実在の人物ともいわれるが不詳
今昔物語や中世説話、御伽草子、浄瑠璃、歌舞伎などで豪勇無双の武者として描かれる
浄瑠璃、歌舞伎では「快童丸」といわれる
<牛車に酔いつぶれた故事>
「今昔物語集」巻二十八第2話によると、
源頼光に仕えた従者の平貞道(たいらのさだみち)、平季武とともに賀茂祭から帰るとき、
女車(宮中の女房などが乗る牛車)にしたてた小さな牛車に乗って紫野に行ったが、初めて乗った牛車に酔いつぶれたといわれる
<酒呑童子退治>
「古今著聞集」巻九によると、
武将 源頼光が四天王たちと酒呑童子を退治する話
山伏姿に身をかえて、神変奇特酒(眠り薬入り酒)を使って退治したといわれる
<藤原道長との競馬>
「古事談」巻六によると、
関白 藤原道長と競馬(くらべうま)をした話が記されている
<土蜘蛛退治>
武将 源頼光は、原因不明の熱病にかかり病床に伏してしまい、源頼光の枕元に現れた怪しげな法師を四天王とともに追い、
北野の森の大きな蜘蛛塚にたどり着き、そこにいた大きな黒い蜘蛛を退治すると、源頼光の熱病がすぐに治まったという
<「御堂関白日記」1017年(皇紀1677)寛仁元年の記>
下毛野公時は、関白 藤原道長の近衛兵の一人で、美男で武術にも馬術にも優れていたとされる
相撲使(力士をスカウトする役)だったとされている
18才で死去したとされている
<金時神社(静岡県駿東郡小山町)>
ちょろり七滝
坂田金時の住まいだった金時屋敷(現在の金時神社)の裏にある
坂田金時が産まれたとき、産湯として使われたといわれる
坂田金時が、立派な武将となったことから、地元では子供が産まれると、この滝の水を産湯にしたといわれる
末社 第六天社
坂田金時親子が深く信仰していた神さん
母親 八重桐が赤いごはんや魚をお供えするのを見て、金太郎は捕まえてきたメダカを器に入れお供えしていたといわれる
<足柄山の金太郎>
金太郎は、とても力持ちで、クマと相撲をとったり、シカやサルと野山を駆け回って遊んでいた
動物たちと散歩をしていた金太郎は、橋のない川に行きあたり、川辺に立っていた大木を引っこ抜き川に渡して橋にする
それを見ていたお侍さんが、感心して金太郎に「腕相撲をしよう」と声をかけてくる
お侍さんに腕相撲で勝った金太郎は、一緒に京に上り、後に坂田金時という立派なお侍さんになった
<赤い童形の金太郎>
古代の雷神信仰に基づいているといわれる
「前大平記」(1803年(皇紀2463)享和3年)によると
山姥が山の上で眠っていたとき、夢の中で赤い龍が雷鳴とともに訪れ、目が覚めると身ごもっており、生まれたのが金太郎であった
赤い龍は雷神で、金太郎は、山姥と雷神の子であるとされる
雷神は、鉞(まさかり)(斧より刃先幅が広いもの)を持っているとされている
<浄瑠璃や歌舞伎>
江戸時代になり、金太郎伝説に基づき、源頼光四天王の怪力童子のイメージが定着していった
<ことわざ「金時の火事見舞い」>
顔が非常に赤いことのたとえで、主に、酒を飲んで赤くなった顔などを指す
顔が赤い金時が、火事見舞いに行ったら、さらに顔が赤くなるだろうということからいわれる
<五月人形>
鉞(まさかり)を担いで熊の背に乗り、菱形の腹掛けを着けた元気な少年像のモデルとなっている
<金時豆(きんときまめ)>
坂田金時が名前の由来となっている
<きんぴらゴボウ>
坂田金時の息子の坂田金平が名前の由来となっている