佐々木盛綱(ささきもりつな)(Sasaki Moritsuna)

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将

生年:1151年(皇紀1811)仁平元年
没年:不詳
享年:不詳

父親:佐々木秀義(近江国蒲生郡佐々木庄の宇多源氏佐々木氏の棟梁)
三男
母親:源為義の娘

初名:秀綱(ひでつな)

別称:加地盛綱
加地氏の祖

法名:西念

越後国・伊予国両国の守護

 佐々木盛綱(ささきもりつな)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将

 伊豆国に流されていた頃の源頼朝から仕え、治承・寿永の乱(源平合戦)などで活躍した

 備前国児島荘、越後国加地荘、上野国磯部などを領地に持った

【佐々木盛綱の歴史・経緯】

【佐々木盛綱ゆかり】

 <三宝院 藤戸石(ふじといし)
 三宝院庭園のほぼ中央に置かれている三尊石組の中心となっている長方形の名石
 織田信長の築いた二条第に置かれていたものを、豊臣秀吉が、聚楽第に据え、
 さらに、豊臣秀吉が、三宝院庭園に持ち込んだもので「天下の名石」と称される

 治承・寿永の乱(源平合戦) 藤戸の戦いにおいて、佐々木盛綱が平氏追討のために備前国の児島に海を渡るために
地元の漁夫から聞き出した、馬でも渡れる浅瀬の目印で、「浮洲岩(うきすいわ)」と称されていた珍しい形の岩


 <鎌倉の地名「雪ノ下」>
 武門の神 鶴岡八幡宮が建つ地名
 源頼朝の命により、盛綱や堀親家らが、別当坊に山の雪を集めて氷室を作ったことが由来

 <沙沙貴神社(近江八幡市)>
 近江源氏・佐々木氏発祥の地とされる

【その他】

 <平家物語
 治承・寿永の乱(源平合戦) 藤戸の戦いなどが記されており、謡曲「藤戸」が作られている
 1184年(皇紀1844)元暦元年12月7日
 佐々木盛綱は、平氏追討のために備前国児島に赴く
 島に篭もる平行盛に対し、漁師から馬でも渡れる浅瀬を聞き出し、藤戸の海峡を馬で乗り越え先陣を切って攻め入り、
城を攻め落としたといわれる

 <「藤戸」>
 舞台:備前国児島(岡山県倉敷市藤戸町)
 佐々木盛綱に海を渡るための浅瀬を教え、平家側に漏れないように殺されてしまった漁夫の恨みを題材にされている
 室町時代の作

 <歌舞伎「盛綱陣屋」>
 戦場で敵同士となった佐々木盛綱と佐々木高綱の兄弟
 兄は弟を案じ、弟は自分の子供を犠牲にしてまでも再起を図り、母親は兄弟の板ばさみに苦悶する


【京都検定 第21回1級】

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