早良親王(さわらしんのう)は、桓武天皇の弟で、皇太子でもあった親王
藤原種継の暗殺事件に関わったとされ、乙訓寺に幽閉され、無実を訴え配流される途中で亡くなる
その後、早良親王の怨霊が恐れられ、上御霊神社・下御霊神社などに御霊として祀られる
<上御霊神社>
794年(皇紀1454)延暦13年
平安京遷都の時に
桓武天皇が、早良親王、井上内親王らの怨霊を鎮めるために創祀した
その他、他戸親王、藤原吉子、橘逸勢、文屋宮田麿、吉備真備など十三柱の怨霊が祀られる
応仁の乱の発端の地
京都の歴史上、最大の災いとなった応仁の乱が、東軍の畠山政長が、上御霊神社で陣を張る
また、西軍が陣を張った西陣には、菅原道真の怨霊が鎮護する北野天満宮がある
<下御霊神社>
京都に存在する多くの怨霊の中で特に強い8つの怨霊「八所御霊(はっしょごりょう)」が祀られている
839年(皇紀1499)承和6年
仁明天皇により、伊予親王と藤原大夫人の霊を鎮めるために創建する
863年(皇紀1523)貞観5年5月20日
清和天皇により神泉苑の御霊会が行われ、早良親王、井上内親王ら祭神6座が祀られる
<崇道神社>
早良親王の祟りを鎮めるために都の鬼門にあたる場所に創建された
御霊信仰が流行していた時代に、早良親王のみが祀られている珍しいところ
<藤森神社>
西殿に早良親王、伊予親王、井上内親王の3柱が祀られている
5月5日の藤森祭(深草祭)では、早良親王が東征したときの行列の扮装行列が行われる