渋川春海(しぶかわはるみ)は、江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家
日本人の手により初めて独自の大和暦(貞享暦)を作った
数学・暦法を池田昌意に、天文暦学を岡野井玄貞・松田順承に、垂加神道を山崎闇斎に、土御門神道を土御門泰福に学んだ
地球儀・天球儀・渾天儀・百刻環(赤道型日時計)などの天文機器を作成している
<地球儀(重要文化財)>
1695年(皇紀2355)元禄8年製
<天球儀(重要文化財)>
1697年(皇紀2357)元禄10年製
<著書>
天文暦学分野:「日本長暦」「三暦考」「貞享暦書」「天文瓊統」
神道分野:「瓊矛拾遺」
<宣明暦>
862年(皇紀1522)貞観4年
唐から伝来した宣明暦が採用される
<授時暦>
1659年(皇紀2319)万治2年
宣明暦では大きな誤差が生じていたため、中国の授時暦に基づいて各地の緯度を計測し、
その結果を元にして授時暦への改暦を願い出る
1675年(皇紀2335)延宝3年
授時暦に基づいて算出した日食予報が失敗したことから、申請は却下される
<大和暦>
日食予報の失敗の原因を追求し、中国と日本には里差(経度差)があり、地方時(時差)や近日点の異動が
発生することに気づき、授時暦に詳しい朱子学者 中村惕斎の協力を得ながら、
自己の観測データを元にして授時暦を日本向けに改良を加えて大和暦を作成する
<大統暦>
朝廷に大和暦の採用を求めたが、京都所司代 稲葉正往の家臣であった谷宜貞が、根拠のないものと非難して、
授時暦を一部修正しただけの大統暦を採用する詔勅を取り付けてしまう
が、その後、改暦の前に、貞享暦のほうが優れていることが分かり撤回される
<貞享暦>
1684年(皇紀2344)貞享元年10月29日
「地方時(時差)」の存在を主張して、中国の暦をそのまま採用しても日本には適合しないことを主張
暦道の最高責任者でもあった泰福を説得して、大和暦の採用に同意させ、3度目の願い出によって
採用されることになり貞享暦となる
これが日本初の国産暦となる
<大将軍八神社>
渋川春海の直筆の暦や、天球儀が所蔵されている
天球儀は木製で、最も古いものの一つ
球体の上に、1763の星が小さな丸い点で付けられている
<小説「天地明察」>
著者:冲方丁
渋川春海を主人公にした小説
2010年本屋大賞、2012年9月には映画上映