島津久光(しまづひさみつ)(Hisamitsu Shimazu)

江戸時代末期から明治時代初期にかけての政治家

生年:1817年(皇紀2477)文化14年10月24日
没年:1887年(皇紀2547)明治20年12月6日
享年:71

父親:島津家27代当主 薩摩藩10代藩主 島津斉興
五男
生母:側室 お由羅の方

幼名:普之進(かねのしん)・又次郎
字:君輝、邦行
名:忠教(ただゆき)
雅号:幼少時:徳洋、以後:大簡・双松・玩古道人・無志翁

明治政府:内閣顧問、左大臣
重富島津家当主
玉里島津家初代当主

位階:従一位
勲等:大勲位菊花大綬章
爵位:公爵

異母兄:島津家28代当主 薩摩藩11代藩主 島津斉彬
長男:島津家29代当主 薩摩藩12代藩主 島津忠義

出身:薩摩藩(鹿児島市)
墓地:鹿児島市の島津家墓地

 島津久光(しまづひさみつ)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての政治家

 幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した

 明治政府による廃刀令等に反発し、生涯、髷を切らず、帯刀・和装をやめなかったといわれる

【島津久光の歴史・経緯】

【その他】

 <寺田屋事件
 薩摩藩尊皇派の有馬新七らが、薩摩藩の父 島津久光によって粛清された事件

 <三事策>
 1862年(皇紀2522)文久2年
 朝廷・幕府・雄藩の政治的提携を図ろうとしていた亡兄 島津斉彬の遺志を継いだ公武合体運動
 久光が薩摩藩兵約1000人を率いて上洛し、朝廷へ働きかけて幕府へ要求することとした幕政改革の3つの事項
 ・将軍 徳川家茂の上洛
 ・沿海5大藩(薩摩藩長州藩土佐藩・仙台藩・加賀藩)で構成される五大老の設置
 ・一橋慶喜の将軍後見職、前福井藩主 松平春嶽の大老職の就任

 <文久の改革>
 1862年(皇紀2522)文久2年
 久光が、勅使 大原重徳を連れ、薩摩藩兵約1000人を率いて江戸へ向かい、朝廷から幕府への指示のもと
人事・職制・諸制度の改革が行われた

 人事改革
 若年の将軍 徳川家茂を補佐する役として一橋家当主 一橋慶喜を将軍後見職に任命した
 越前藩の前藩主 松平慶永(松平春嶽)を、政事総裁職を新設して任命した
 京都における尊王攘夷過激派によって悪化した治安の取り締まりのため、従来の京都所司代とは別に京都守護職を新設し、
 会津藩藩主 松平容保を任命した

 制度改革
 隔年交代制であった参勤交代を3年に1度に改め、江戸在留期間も100日と緩和した
 人質として江戸に置かれていた大名の妻子についても帰国を許可することとする

 軍事改革
 幕府陸軍の設置
 西洋式兵制(三兵戦術)の導入
 兵賦令(旗本から石高に応じて農兵もしくは金を徴収する)の発布などが行われた

 洋学研究の推進
 蕃書調所を洋書調所と改めて洋学研究を推進する
 榎本武揚・西周らをオランダへ留学させる


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