下村彦右衛門(しもむらひこえもん)は、江戸時代中期の商人で、大丸百貨店の創業者
<海宝寺>
下村彦右衛門が、開山の萬福寺十三世 竺庵浄印に帰依し、自ら浄財を投じて援助を続けたといわれ
現在も下村家により援助がされているといわれる
<白河院庭園>
1919年(皇紀2579)大正8年
白河院跡が下村忠兵衛の所有となり造営される
<経営理念「先義後利」>
創業20年の節目に、「先義而後利者栄(義を先にして利を後にする者は栄える)」を掛け軸にして、
京都・大阪・名古屋の全店で座右の銘とするように命じた
下村彦右衛門は、かねてから貧しい者に施しをいとわない「義の人」であったといわれる
「世間では目先のことだけを考えて商いをする者があるが、そういうやり方は嫌いである」とも言い残している
<遺訓>
「人は正直で慈愛に富むのが第一。衣服や食事のおごりもいけないが、心のおごりが最もいけない。
いかに才知に優れていても不義理な人間は役に立たない。
まして主人たるものは、正直・律義で慈愛深くなければ多くの人の上には立てない。」
<大塩平八郎の乱>
1837年(皇紀2497)天保8年
数年にわたり襲った「天保の大飢饉」により餓死者が多数出るなどの世の惨状を見かね、
大阪町奉行の子に生まれた大塩平八郎が、門下生らとともに自宅に火を放ち決起
豪商達が多数襲われたが、大塩平八郎は、「大丸は義商なり、犯すなかれ」と叫び、民衆の大丸の襲撃だけは抑えたといわれる
<新選組>
幕末維新
新選組隊士の服装が大丸を通して調達されたといわれる