橘諸兄(たちばな の もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿・歌人
敏達天皇の5世(もしくは4世)孫にあたる
流行した天然痘により、参議や政官が次々に死去し、大納言に任命され、聖武天皇に信任され正一位左大臣となる
現在の綴喜郡井手町井手を本拠地として、別業(別荘)を持ち「井手左大臣」とも称される
<万葉集>
宴席での対人詠の短歌が8首載せられている
万葉集の編纂についても携わったともいわれている
「降る雪の白髪(しろかみ)までに大君に仕へまつれば貴くもあるか」(橘諸兄)(万葉集)
<山城国綴喜郡井手>
現在の綴喜郡井手町井手
橘諸兄の本拠地としたところで「相楽別業」(別荘)があったとされる
「井手左大臣」とも称された
聖武天皇も相楽別業に行幸して宴が行われとされる
<井手寺跡(いででらあと)>
綴喜郡井手町井手にある
橘諸兄の本拠地に氏寺として建立されたといわれる
「井堤寺」「円堤寺」とも称される
東西・南北とも240mの広い境内に、塔・金堂などの七堂伽藍が整う法隆寺形式の大寺だった
遺構の大部分が破壊されてしまっている
現在は、跡地とされる一画に東屋だけが建てられている
大門、中島、石橋、泉水などの地名が残っている
<六角井戸>
綴喜郡井手町石垣にある
橘諸兄の「別業の井戸」とも称される
聖武天皇が恭仁宮に入る前夜に一泊したとされる「玉井頓宮」の跡地にある
井筒は、6枚の石板(幅90cm、高さ40cm、幅10cm)により六角形に組まれている
<梅宮大社 若宮社(京都府登録文化財)>
本殿の向かって右側にある
祭神:橘諸兄 配祀:橘嘉智子(たちばなのかちこ)
<地蔵禅院>
橘諸兄により創建されたといわれる
本尊の地蔵菩薩立像は、橘諸兄の持仏だったといわれる