橘諸兄(たちばな の もろえ)(Moroe Tachibana)

奈良時代の皇族・公卿・歌人

生年:684年(皇紀1344)天武天皇13年
没年:757年(皇紀1417)天平勝宝9年1月6日
享年:74

父親:大宰帥 美努王(みぬのおう)
母親:県犬養三千代(光明天皇皇后 光明子の異父妹)
妻:藤原多比能(藤原不比等の娘)
長男:橘奈良麻呂(たちばなならまろ)

初名:葛城王(葛木王)(かつらぎおう)

官位:正一位(生前に正一位に叙された史上6人の一人)
官職:左大臣

初代橘氏長者

通称:井手左大臣、西院大臣

お墓:綴喜郡井手町南開

 橘諸兄(たちばな の もろえ)は、奈良時代の皇族・公卿・歌人

 敏達天皇の5世(もしくは4世)孫にあたる

 流行した天然痘により、参議や政官が次々に死去し、大納言に任命され、聖武天皇に信任され正一位左大臣となる

 現在の綴喜郡井手町井手を本拠地として、別業(別荘)を持ち「井手左大臣」とも称される

【橘諸兄の経緯・歴史】


【橘諸兄のゆかり】

 <万葉集
 宴席での対人詠の短歌が8首載せられている
 万葉集の編纂についても携わったともいわれている

 「降る雪の白髪(しろかみ)までに大君に仕へまつれば貴くもあるか」(橘諸兄)(万葉集


 <山城国綴喜郡井手
 現在の綴喜郡井手町井手
 橘諸兄の本拠地としたところで「相楽別業」(別荘)があったとされる
 「井手左大臣」とも称された

 聖武天皇も相楽別業に行幸して宴が行われとされる


 <井手寺跡(いででらあと)
 綴喜郡井手町井手にある
 橘諸兄の本拠地に氏寺として建立されたといわれる
 「井堤寺」「円堤寺」とも称される

 東西・南北とも240mの広い境内に、塔・金堂などの七堂伽藍が整う法隆寺形式の大寺だった
 遺構の大部分が破壊されてしまっている
 現在は、跡地とされる一画に東屋だけが建てられている

 大門、中島、石橋、泉水などの地名が残っている


 <六角井戸>
 綴喜郡井手町石垣にある
 橘諸兄の「別業の井戸」とも称される

 聖武天皇が恭仁宮に入る前夜に一泊したとされる「玉井頓宮」の跡地にある

 井筒は、6枚の石板(幅90cm、高さ40cm、幅10cm)により六角形に組まれている


 <梅宮大社 若宮社(京都府登録文化財)>
 本殿の向かって右側にある  祭神:橘諸兄 配祀:橘嘉智子(たちばなのかちこ)


 <地蔵禅院
 橘諸兄により創建されたといわれる
 本尊の地蔵菩薩立像は、橘諸兄の持仏だったといわれる


【京都検定 第23回1級】

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