橘行平(たちばなのゆきひら)は、平安時代中期の貴族
薬師如来の飛来伝説がある因幡薬師堂を創建した
<因幡薬師堂 平等寺>
橘行平の創建
「因幡堂縁起(重要文化財)(東京国立博物館所蔵)」によると
橘行平が、村上天皇の命で因幡国(現在の鳥取県)の一宮に赴く
神事を済ませ帰洛の途中、重い急病にかかり平癒を祈願したところ、夢に異形の僧が現れ、
「因幡国賀留津の海中に一つの浮き木がある。その浮き木は衆生済度(人々を救って悟りを得させるため)に
遠くの仏の国からやってきた。あなたは速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。
そうすれば必ず病気は治る。さらに一切のあらゆる願いが成就するだろう」との夢告を受ける
橘行平は、早速人々を集めて大網を使って海底を探らせると、お告げの通り一つの浮き木があり、
取り上げると、丈五尺ほど(165cm)の薬師如来の尊像だった
橘行平は、その浦に供養する草堂を創建し、薬師如来を祀った
これが「因州国高草郡大字菖蒲浦の座光寺(ざこうじ)」となる
その後、橘行平の病気は平癒し、無事に京に帰ることが出来た
京の自宅での夜、夢に異形の僧が現れ、
「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。
あなたには宿縁(前世からの因縁)があるから重ねて事を示す」との夢告を受ける
そのとき、屋敷の西門に「因州の僧だ」と名乗る来客があり、門を開けると、薬師如来が飛来してきていた
橘行平は、自宅に堂宇を創建(因幡薬師堂し、その薬師如来を祀ったといわれる
現在も、因幡国の座光寺には、薬師如来の跡の後光と台座だけが残っている
この時代は、洛中に寺院の創建は禁止されていたが、例外的に認められた
一条天皇も信心され、八ヶ所の子院を建立され、皇室の勅願所とされた
<等善寺>
橘行平の墳墓がある
堂宇を建てるにあたって採掘が行われ、山内最古の墳墓が出土し、「橘」と記された石面が発見される