平重衡(たいらのしげひら)は、平安時代末期に平氏政権を樹立した平清盛の五男で武将・公卿
治承・寿永の乱(源平合戦)は、平氏の大将の一人として各地で活躍し、南都焼討を行って東大寺・大仏や興福寺を焼亡させた
<平重衡塚>
平重衡のお墓とされる
平重衡は、木津川の河原において首をはねられ、火葬後、この地に埋葬されたといわれる
<安福寺>
平重衡が斬首された木津川川畔の付近にある(木津川市木津宮ノ裏)
平重衡の供養塔がある
<般若寺(奈良市般若寺町)>
平重衡が梟首された門前の般若寺にも供養塔がある
<善願寺 地蔵菩薩坐像>
京都市内最大級の像高268.2cmの丈六像
1156年(皇紀1816)保元元年頃
平重衡(平清盛の五男)の安産を祈願して七条仏所の仏師 定朝により作られたといわれる
腹部に腰紐で結んだ下衣が見え、腹帯に似ているところから「腹帯地蔵さん」と称される
平重衡の妻 藤原輔子が安産を祈願して、無事に子供を授かったことで本堂が寄進されたといわれる
<「平家物語」>
巻第十では、半分近くが平重衡について語られており、かなり注目されている
<能「重衡」>
室町時代の作
奈良阪の墓地にある石製の笠塔婆から迷い出た重衡の霊が、旅の僧に供養を頼むシーンがある
現在、この石塔は般若寺に移築されているが、重衡の墓ではないとされる
平重衡は、「玉葉和歌集」に歌が選ばれている勅撰歌人
<玉葉和歌集>
巻第8 旅歌
「宮こをすみうかれて後、安楽寺へまいりてよみ侍りける」
「住みなれし 古き都の 恋しさは 神もむかしに 思ひしるらむ」
<月詣和歌集>
巻第一 正月 賀
「湖上霞といふことをよめる」
「さざ浪の 音はへだてず 八重霞 志賀のから崎 立ちこむれども」
巻第十 十月哀傷
「高倉院の御ことを思ひ出て今上御時内裏にさふらいける女房のもとへ申遣しける」
「すみかはる 月を見つつぞ 思ひ出る おほ原山の いにしへの空」
<平家物語>
語り本、一方流米沢本「巻十 内裡女房」
「涙河 うき名をながす 身なりとも いま一たびの 逢せともがな」
「逢ふことも 露の命も もろともに 今宵ばかりや 限りなるらん」
語り本、一方流米沢本「巻十 海道下り」
「故郷も 恋ひしくもなし 旅の空 都もつひの すみかならねば」
語り本、一方流米沢本「巻十二 重衡の斬られ」
「せきかねて 涙のかかる 唐衣 のちの形見に ぬぎぞかへぬる」
八坂流二類本「巻第八 名虎」
「住なれし ふるき都の 恋しさに 神もむかしを おもひ出らめ」