高杉晋作(たかすぎしんさく)は、江戸時代後期の長州萩藩士
長州藩の尊王攘夷倒幕派の志士として活躍した
江戸品川のイギリス公使館焼き打ちや、奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた
<第二無鄰菴跡>
第一無鄰菴は、現在の下関市吉田にあったもので、一時、高杉晋作の菩提所として使用された
<時代祭の時代行列>
維新志士列に坂本龍馬らと登場する
<霊山歴史館>
高杉晋作ら、幕末維新に政治の中心地となった京都で活躍した志士・大名・公家・文人・画家などの
遺墨や遺品・書状・各種資料・文献などを収集、調査、研究し、公開展示が行われている
<辞世の句>
「おもしろきこともなき世におもしろく」
<顕彰>
伊藤博文
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」
中岡慎太郎
「胆略有り、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇を以って人に打ち勝つものは高杉東行、是れ亦洛西の一奇才」
勝海舟
「年は若し、時が時だったから、充分器量を出さずにしまったが、なかなか活気の強かった男さ」
<谷家 初代当主>
1865年(皇紀2525)元治2年1月11日付
晋作は、高杉家を廃嫡されて、育(はぐくみ)扱いとされ、高杉本家は、義兄の高杉春棋が継ぐ
同年9月29日、藩命により「谷潜蔵」と改名する
1867年(皇紀2527)慶応3年3月29日
新知100石が与えられ、谷家を創設して初代当主となる
1887年(皇紀2547)明治20年
晋作の遺児 谷梅之進が、「高杉東一」と改名し、現在に至る