高杉晋作(たかすぎしんさく)

江戸時代後期の長州萩藩士

生年:1839年(皇紀2499)天保10年8月20日
没年:1867年(皇紀2527)慶応3年4月14日
享年:29(満27歳没)

諱:春風(はるかぜ)
通称:晋作、東一、和助
字:暢夫(ちょうふ)
号:初め楠樹、後に東行(とうぎょう)と改める
  東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った
変名:谷潜蔵、谷梅之助、備後屋助一郎、三谷和助、祝部太郎、宍戸刑馬、西浦松助など

父親:長州藩藩士 高杉小忠太
長男

贈正四位(1891年(皇紀2551)明治24年4月8日)

出身:長門国萩城下(現在の山口県萩市)
墓所:東行庵(とうぎょうあん)(山口県下関市)

 高杉晋作(たかすぎしんさく)は、江戸時代後期の長州萩藩士

 長州藩の尊王攘夷倒幕派の志士として活躍した

 江戸品川のイギリス公使館焼き打ちや、奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた

【高杉晋作の歴史・経緯】

【高杉晋作ゆかりの地】

 <第二無鄰菴跡
 第一無鄰菴は、現在の下関市吉田にあったもので、一時、高杉晋作の菩提所として使用された

 <時代祭時代行列
 維新志士列に坂本龍馬らと登場する

 <霊山歴史館
 高杉晋作ら、幕末維新に政治の中心地となった京都で活躍した志士・大名・公家・文人・画家などの
遺墨や遺品・書状・各種資料・文献などを収集、調査、研究し、公開展示が行われている

【その他】

 <辞世の句>
 「おもしろきこともなき世におもしろく」

 <顕彰>
 伊藤博文
  「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや…」

 中岡慎太郎
  「胆略有り、兵に臨みて惑わず、機を見て動き、奇を以って人に打ち勝つものは高杉東行、是れ亦洛西の一奇才」

 勝海舟
  「年は若し、時が時だったから、充分器量を出さずにしまったが、なかなか活気の強かった男さ」


 <谷家 初代当主>
 1865年(皇紀2525)元治2年1月11日付
 晋作は、高杉家を廃嫡されて、育(はぐくみ)扱いとされ、高杉本家は、義兄の高杉春棋が継ぐ
 同年9月29日、藩命により「谷潜蔵」と改名する

 1867年(皇紀2527)慶応3年3月29日
 新知100石が与えられ、谷家を創設して初代当主となる

 1887年(皇紀2547)明治20年
 晋作の遺児 谷梅之進が、「高杉東一」と改名し、現在に至る


【京都検定 第14回3級】

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