徳川家茂(とくがわいえもち)(Iemochi Tokugawa)
江戸時代末期の江戸幕府第14代征夷大将軍
生年:1846年(皇紀2506)弘化3年閏5月24日
没年:1866年(皇紀2526)慶応2年7月20日
享年:21
父親:紀州藩11代藩主 徳川斉順(とくがわなりゆき)
次男
母親:松平晋の娘 みさ(実成院)
幼名:菊千代(きくちよ)
改名:慶福(よしとみ)、家茂
官位:従一位・右大臣、贈正一位・太政大臣
幕府:江戸幕府第14代征夷大将軍
在任:1858年(皇紀2518)安政5年−1866年(皇紀2526)慶応2年
藩:紀伊国紀州藩 13代藩主
正室:
和宮親子内親王
養子:茂承 (紀伊藩継嗣)、
徳川慶喜 (将軍家継嗣)
墓所:三縁山広度院増上寺(東京都港区)
徳川家茂(とくがわいえもち)は、江戸時代末期の江戸幕府第14代征夷大将軍
将軍としては229年ぶりに上洛して二条城に入る
孝明天皇と賀茂社に参拝し、天皇が公式に御所を出て行幸されたのは237年ぶりとなる
【徳川家茂の歴史・経緯】
【徳川家茂ゆかりの地】
<二条城>
将軍として229年ぶりの上洛にそなえ、荒れ果てていた二条城の改修が行われる
二の丸御殿は全面的に修復され、本丸には仮御殿が建てられた
<賀茂社>
孝明天皇や一橋慶喜らと共に上賀茂神社・下鴨神社に参拝する
天皇が公式に御所を出て行幸されたのは237年ぶりとなる
【その他】
<浪士組(後の新選組>
将軍 徳川家茂の上洛による将軍警護のために組織され、先立って上洛した
【京都検定 第5回3級】
【京都検定 第17回2級】
【京都検定 第23回2級】
【京都検定 第2回1級】
【京都検定 第3回1級】