徳川家康(とくがわいえやす)は、戦国時代の武将・戦国大名、江戸幕府の初代征夷大将軍
豊臣秀吉の全国統一に尽力し、関ヶ原合戦に勝ち、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、天下を統一する
伏見城で征夷大将軍の宣下を受け、二条城を築城し京都での居場所とした
<朝日神社>
徳川家康が祭神として祀られている
<二条城>
徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けたときに、上洛時の宿所や京都の警衛のために築城される
<伏見城>
豊臣秀吉のブレーンとして過ごしたところ
徳川家康が、勅使から征夷大将軍の宣下を受けたところ
<東本願寺>
本願寺第十二代 教如が、徳川家康から本願寺の東に寺領を与えられ、本願寺を二つに分けて建立される
豊臣秀吉が、本願寺−方広寺−豊国神社−豊国廟と東西に並べて神格化しようとしたのを防ぐために分断したものといわれる
<家康伊賀越えの道>
本能寺の変のときに、堺にいた徳川家康は、山城国南部から伊賀を超えて三河国へ逃亡した
<方広寺鐘銘事件>
豊臣秀頼が豊臣秀吉の遺志を継いで方広寺の大仏を再建する
徳川家康は、その梵鐘の銘文「国家安康 君臣豊楽」が、「家康の名を分断し、豊臣を君主とするもの」だと異議を唱え、
豊臣氏の破滅に導いた
<以心崇伝>
徳川家康の外交・寺社政策のブレーンとして重用され、「黒衣の宰相」と称される僧
キリスト教の禁止や、寺院諸法度・武家諸法度・禁中並公家諸法度の制定に関わる
南禅寺塔頭 金地院を再興し、「以心崇伝」とも称される
<家紋「三ッ葉葵」>
上賀茂神社の神紋「二葉葵」に由来するとして篤く信仰された
<葵使>
上賀茂神社から、フタバアオイを徳川家に献上していた遣い