徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は、江戸幕府最後の第15代征夷大将軍
御三卿一橋徳川家の第9代当主、徳川宗家を相続する
二条城 二の丸御殿に、上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問した
明治新政府では、貴族院議員となる
徳川慶喜は、将軍在職中は、一度も畿内を離れなかったが、京都でのゆかりの地は少ない
<二条城>
1867年(皇紀2527)慶応3年10月13日
徳川慶喜は、二条城 二の丸御殿に、上洛中の40藩の重臣を招集し、大政奉還を諮問した
翌日、「大政奉還上表」が朝廷に提出され、その翌日、朝議が行われ大政奉還の勅許が決定される
<新選組>
1863年(皇紀2523)文久3年2月
浪士組が、将軍警護と治安維持のための、金戒光明寺に本陣を置く京都守護職 松平容保の預かりとして活躍する
1867年(皇紀2527)慶応3年6月
将軍 徳川慶喜の直属の軍隊となり、葛野郡不動堂村に新屋敷が建立され本陣が移る