豊臣秀頼(とよとみひでより)は、桃山時代から江戸時代初期にかけての武将
父親 豊臣秀吉の死後も、徳川家康、朝廷からも摂関家の一人として扱われたが、徳川家康によって滅ぼされる
<北野天満宮>
本殿(国宝)、拝殿(国宝)
豊臣秀吉の遺命により、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したもの
<由岐神社>
本殿と拝殿が豊臣秀頼により再建される
<方広寺>
豊臣秀吉の遺志を継ぎ、、豊臣秀頼が片桐且元を中心に大仏の再建を行う
豊臣秀頼が再建した2代目の大仏は、銅製
<近衛天皇安楽寿院南陵>
近衛天皇の御陵
新御塔が、豊臣秀頼によって再建される
<安楽寿院>
現在の多宝塔、鐘楼などが、片桐且元を普請奉行として豊臣秀頼により復興される
<東向観音寺>
本堂(京都市指定有形文化財)が、北野天満宮本殿などが再建される際に、奉行 片桐且元が同じく奉行となり、豊臣秀頼によって再建される
<金戒光明寺>
阿弥陀堂が、豊臣秀頼により再建される
<東寺>
金堂(国宝)の現存の建物が、豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建される
東大門(重要文化財)も、豊臣秀頼により大修理が行われている
<清凉寺>
豊臣秀頼によって釈迦堂(本堂)が寄進、造営される
豊臣秀頼首塚、左側には、「大坂の陣 諸霊供養碑」の石碑が立っている
<醍醐寺>
如意輪堂(重要文化財)、開山堂(重要文化財)、西大門(仁王門)が、豊臣秀頼により再建される
<相国寺>
法堂(はっとう)附玄関廊(重要文化財)が、豊臣秀頼の寄進により、5回目の再建がされる
<巨漢>
豊臣秀頼は、身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢だったといわれる
徳川家康が二条城で、秀頼と会見したときに、秀頼の巨体から醸し出されるカリスマ性に恐怖して、豊臣家打倒を決意したともいわれる
顔には、天然痘の後遺症である痘痕が残っていたともいわれる