平安時代(へいあんじだい)は、桓武天皇による平安京遷都(794年(皇紀1454)延暦13年)から
源頼朝が征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府を開いた(1192年(皇紀1852)建久3年)までの約400年間
794年(皇紀1454年)延暦13年10月の辛酉の日(しんゆうのひ)
桓武天皇により長岡京からの遷都令が出され、日本の首都として平安京が造営される
平安時代初期
天皇が、政治の実権を握り、律令政治が目指される
<摂関政治>
藤原良房が人臣として初めて摂政に就任して以来、藤原北家が勢力を伸ばし、
藤原道長・藤原頼通により藤原氏全盛時代を築いた
<院政>
天皇が譲位後、上皇により院政が行われる
<荘園公領制>
地方では、荘園が全国に広がって、荘園と国衙領が混在する荘園公領制が行われる
平安時代後半
院政の軍事的役割を果たしていた北面武士などから武士が台頭してくる
平安時代末期
武士が、中央の政争に関与するようになり平氏政権が生まれる
六波羅の地に政庁が作られ、武家町が構成される
<長岡京遷都>
784年(皇紀1444年)延暦3年
専制的だった桓武天皇は、律令政治の改新のために、巨大な仏教勢力などの反勢力を排除して革新的な政治を樹立をしようと、
これまで政治の中心だった大和を離れて、平城京から長岡京に遷都させる
<藤原種継暗殺>
785年(皇紀1445)延暦4年9月
桓武天皇の忠実な幕僚で造都推進責任者だった藤原種継が暗殺される
反勢力の代表とされる大友氏一族が、暗殺を企てたとして捕らえられ、
さらに、大友氏につながる皇太子の早良親王や関係官人が粛清される
廃太子された早良親王は、無実を主張し、幽閉先の乙訓寺で飲食を拒否し死去してしまう
桓武天皇は、早良親王の遺体を淡路島に流す「死後処刑」を断行する
<早良親王の祟り>
早良親王の死後処刑後、桓武天皇の生母の高野新笠(にいがさ)や皇后の乙牟漏(おとむろ)が次々と死去し、
さらに連年、大雨・洪水・流行病など社会不安が続き、早良親王の怨霊の祟りとして噂されるようになる
<長岡京放棄>
793年(皇紀1453)延暦12年
桓武天皇は、祟りの世相などからの体制の立て直しを余儀なくされ、和気清麻呂らの進言を聞き入れ、
長岡京造都の放棄が決定される
同年1月
桓武天皇は、初代造宮大夫の藤原小黒麻呂らに新しい都の移転先の調査を命じる
同年3月
桓武天皇は、平安京予定地の葛野郡(かどのぐん)へ視察に赴いている
中国から伝わった風水に基づく地相を占い、四神相応之地として「吉」と出たことで造営が急速に進められる
<平安京遷都>
794年(皇紀1454年)延暦13年10月の辛酉の日(しんゆうのひ)(陰陽道の革命の日)
この日を選んで遷都が宣言され、曽祖父 天智天皇以下の皇統の各陵墓に遷都の奉告が行われる
新しい都を「平安京」と命名
当時の京都地方の国名も「山背国(やましろこく)」から「山城国(やましろこく)」に変更される
795年(皇紀1455)延暦14年3月
造都事業は、辺境の蝦夷征討とともに進められ、遠江・駿河・信濃・出雲などからも2万4000人の雇夫を出させるなど、
大規模な造都工事が行われた
796年(皇紀1456)延暦15年7月
大極殿(だいごくでん)が完成し、遷都後初めて桓武天皇が大極殿において朝賀を受ける
平安京は、中国の長安城をモデルとして人工的に造り上げられた都市である
当時の、山背国の愛宕(おたぎ)、葛野(かどの)の両郡にまたがる地に建設される
平安京は、京域の北端中央に、天皇、皇室関係の施設や行政機関がおかれた大内裏を設け、
そこから市街の中心に朱雀大路を南端の羅城門まで通して左右に分け、左京と右京が置かれた
<国風文化>
894年(皇紀1554)寛平6年に、菅原道真の意見によって遣唐使が中止され大陸文化の影響が少なくなり、
10世紀初期にかけて日本独自の文化が発展した
中国の影響が強かった奈良時代の「唐風文化」に対して、「国風文化」と称される
<斎院>
未婚の皇女が斎王となり、賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)に奉仕する制度が設けられていた
<安倍晴明>
<一来法師>
<有智子内親王>
<小野氏>
<梶原景季>
<金売吉次>
<桓武天皇>
<祇園女御>
<清原夏野>
<後白河天皇>
<坂田金時>
<坂上田村麻呂>
<嵯峨天皇>
<早良親王>
<佐々木盛綱>
<上東門院 藤原彰子>
<菅原道真>
<平忠盛>
<平清盛>
<平重衡>
<平将門>
<橘俊綱>
<橘行平>
<常盤御前>
<藤原小黒麻呂>
<藤原兼家>
<藤原季綱>
<藤原種継>
<藤原仲成>
<藤原道長>
<藤原基経>
<藤原時平>
<藤原山蔭>
<藤原頼通>
<藤原行成>
<藤原高子>
<弁慶>
<北条時政>
<北条義時>
<源融>
<源義家>
<源頼政>
<源頼朝>
<源義経>
<源義朝>
<源頼光>
<三善清行>
<武蔵坊弁慶>
<和気清麻呂>
<和気広虫>
<平安遷都千百年紀念祭>
1895年(皇紀2555)明治28年
平安遷都千百年を記念して様々な記念事業が行われた
<綜芸種智院>
空海が庶民のために創立した私立学校
<大原女>
大原や八瀬から京の街に出て、薪・柴・炭などを頭に載せて売り歩いた行商の女性