1192年(皇紀1852)建久3年に、源頼朝が、鎌倉幕府を開き、
1333年(皇紀1993)元弘3年/正慶2年に、鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が親政を開始するまでの時代
<承久の乱>
1221年(皇紀1881)承久3年
後鳥羽上皇が、鎌倉幕府の執権 北条義時討伐の宣旨を出して兵を挙げるが敗れる
<六波羅探題>
源頼朝は、平氏政権の基盤であった六波羅の地を接収し、京都での拠点を置く
北条義時により、朝廷の監視と洛中の警護にあたる幕府の出先機関としておかれる
さらに、西日本全体の成敗権を行使し、「小鎌倉幕府」ともいわれる
承久の乱で後鳥羽上皇方に加担した公家や武士などの所領が没収され、御家人に恩賞として再分配された
それまで幕府の支配下になかった荘園にも地頭が置かれ、「新補地頭」と称され
以前に幕府の支配下にあった土地に置かれた地頭は、「本補地頭」と称される
<篝屋>
1238年(皇紀1898)嘉禎4年
六波羅探題が、洛中の辻々48ヶ所に治安を目的に設置される
<検非違使庁>
王朝政府により「令外官(りょうげのかん)」として設置されており、治安警護として機能していた
のちに検非違使は、民事から行政まで関与し、人々から強い信頼を得ていた
<初代 源頼朝>>
在任:1192年(皇紀1852)建久3年7月12日 − 1199年(皇紀1859)建久10年1月13日
官位:正二位 権大納言
出身:河内源氏
<2代 源頼家>
在任:1202年(皇紀1862)建仁2年7月22日 − 1203年(皇紀1863)建仁3年9月7日
官位:正二位 左衛門督
出身:河内源氏
<3代 源実朝>
在任:1203年(皇紀1863)建仁3年9月7日 − 1219年(皇紀1879)建保7年1月27日
官位:正二位 右大臣
出身:河内源氏
<4代 藤原頼経>
在任:1226年(皇紀1886)嘉禄2年1月27日 − 1244年(皇紀1904)寛元2年4月28日
官位:正二位 権大納言
出身:藤原氏(九条家)
<5代 藤原頼嗣>
在任:1244年(皇紀1904)寛元2年4月28日 − 1252年(皇紀1912)建長4年2月20日
官位:従三位 左近衛中将
出身:藤原氏(九条家)
<6代 宗尊親王(むねたかしんのう)>
在任:1252年(皇紀1912)建長4年4月1日 − 1266年(皇紀1926)文永3年7月20日
官位:一品 中務卿
出身:皇族
<7代 惟康親王(これやすしんのう)>
在任:1266年(皇紀1926)文永3年7月24日 − 1289年(皇紀1949)正応2年9月14日
官位:正二位 中納言右近衛大将 後に、二品
出身:皇族
<8代 久明親王(ひさあきらしんのう)>
在任:1289年(皇紀1949)正応2年10月9日 − 1308年(皇紀1968)徳治3年8月4日
官位:一品 式部卿
出身:皇族
<9代 守邦親王(もりくにしんのう)>
在任:1308年(皇紀1968)延慶元年8月10日 − 1333年(皇紀1993)元弘3年5月22日
二品
出身:皇族
<足利尊氏>
<梶原景季>
<九条道家>
<楠木正成>
<後鳥羽上皇>
<佐々木盛綱>
<北条時政>
<北条義時>
<承元の法難>
後鳥羽上皇による、法然上人が率いる専修念仏に対する処分事件
<油座>
離宮八幡宮の神人により、荏胡麻油の原材料の仕入・製油・流通・販売を独占的に行っていた組織