神仏分離(しんぶつぶんり)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)

神仏分離(しんぶつぶんり)は、神さんと仏さん、神社と寺院とを明確に区別させること

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)は、仏法を廃して、釈迦の教えを棄てさせること


 京都には、現在も神仏習合の社寺や慣習が多く残っているが、

 都から遠く、古くからの都の文化を理解できない薩摩藩(鹿児島県)・長州藩(山口県)・土佐藩(高知県)らの者たちにより
明治新政府が、神さんと仏さん、神社と寺院とを明確に区別するよう布告する

 仏教だけでなく、神道・修験道・陰陽道なども被害を受ける

 この悪策により、千年以上の歴史ある多くの貴重な文化財・建造物・日本特有の文化などが失われることとなった

【神仏分離・廃仏毀釈の歴史・経緯】

 平安時代より
 宮中では、賀茂社神宮に、代々天皇さんの皇女を斎王として神さんに仕えさせてきたり、
 即位の礼・毎年の大嘗祭・重要神社の勅祭・崩御されたときの大喪の礼などなど多くの祭事が神式で行われてきている
 また、皇室の御香華院(ごこうげいん)(菩提所)として御寺(みてら)に陵墓月輪陵がおかれ、
宮中にも仏式の歴代天皇の位牌や仏像・仏画が祀られている

 宮中でも長年の神仏習合の日本特有の文化が定着している




【神仏分離】

 <神仏分離>
 神社と寺院を分離してそれぞれ独立させ、神社に奉仕していた僧侶には還俗を命じたほか、
神道の神に仏具を供えることや、「御神体」を仏像とすることも禁じた


 <神仏分離を即刻実施する七か条>
 ・神社の白木の鳥居はそのままでよいが、塗ってあるものは白木に替えること、
  その場合の鳥居の形は下の貫手の両端を出さぬようにすること
 ・神社にある仏像は、村役人立ち会いの上、寺院へ渡すこと
 ・寺院にある神体も、同様にして神社へ渡すこと
 ・神体・仏像の返還が終われば、寺院または社人より受取書を提出すること
 ・このたび改めて仏号を付けた寺院は仏号を書いた掛け札をすぐに用意すること
 ・神殿造の寺院は、堂塔に造りなおすこと
 ・神社の狗犬はそのままでよいが、唐獅子はすぐに取り除くこと


 都から遠く古くからの文化を理解できない薩摩藩(鹿児島県)・長州藩(山口県)・土佐藩(高知県)らの者たちによる
明治新政府の祭教政一致の政策は、数年で失敗して終わった

【京都での神仏分離・廃仏毀釈】

 <祇園社感神院(現在の八坂神社)>
 神仏分離以前は、延暦寺の別院だった
 名称変更が求められ、「祇園社」の名称は釈迦にちなむ「祇園精舎」に似ているから却下され「八坂神社」となった
 祭神は、薬師如来とされる「牛頭天王(ごずてんのう)」の名称だったが、素戔嗚尊に名称変更させられる
 観音堂にあった十一面観音菩薩立像や、夜叉神明王立像は五条の大蓮寺に移された
 鳥居にかけられていた小野道風筆の「感神院」の扁額がおろされた
 奉仕していた社僧8人が還俗させられる
 現在は、全国の八坂神社・祇園神社の本社


 <白雲寺(愛宕神社神宮寺)>
 神仏分離以前は、愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した愛宕権現(あたごごんげん)が祀られていたが廃された
 天台宗真言宗両宗の白雲寺も廃寺とされ、強制的に愛宕神社とされた
 本殿・勝地院・教学院・大善院・威徳院・福寿院などがあった
 本地仏として本殿に祀られていた勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)は、金蔵寺に移され祀られている
 現在は、全国の愛宕神社の本社


 <北野天満宮
 神仏分離により、名称が「北野神社」と改称された(現在は戻されている)
 本殿内陣には十一面観音菩薩が祀られており、社僧により読経が行われていた
 本殿には、菅原道真が天台座主から譲り受けたものといわれる「菅公御襟懸守護の仏舎利」が安置されていた
 常照皇寺の住職櫓山が、交渉を続け譲渡を受ける
 拝殿の正面には大鰐口が吊るされていた
 境内にあった、天台宗の社僧が奉仕していた松梅院、徳勝院、妙蔵院など40以上の寺院が破棄された
 大日如来が祀られていた多宝塔が破棄される
 大日如来像と須弥壇は、浄土宗親縁寺に引き取られ、現在の須弥壇には、本尊 阿弥陀如来が祀られている
 豊臣秀頼が寄進したものともいわれる鐘楼もあったが、大雲院に移設された


 <石清水八幡宮寺(石清水八幡宮)>
 神仏分離により、名称が「男山神社」と改称された、現在は「石清水八幡宮」とされる
 男山四十八坊といわれる東谷宝塔院宝塔(琴塔)、西谷大塔、宿坊、寺院、堂塔、僧房が建ち並んでいたが破却され、
土壇と礎石が残されている

 八角堂に祀られていた阿弥陀如来坐像(重要文化財)、元三大師坐像(重要文化財)は、
正法寺の宝物館「法雲殿」に安置されている

 全国の八幡宮も神社に改められ、神宮寺は廃され、仏教的神号の「八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」も禁止され
 僧形八幡神像は撤去された

 宇佐八幡宮や石清水八幡宮の「放生会」は、それぞれ「仲秋祭」「石清水祭」へと改めさせられた


 <神應寺
 神仏分離以前は、石清水八幡宮の神宮寺とされていた

 <出雲大神宮神宮寺>
 廃仏毀釈により、廃寺とされて出雲極楽寺に遷された

 <極楽寺
 神仏分離により出雲大神宮の神宮寺が廃され、本地仏の十一面観音菩薩立像などが極楽寺に遷された
 「雨乞観音」(十一面観音菩薩立像)(重要文化財)も神宮寺の観音堂に祀られていたもの


 <粟田神社 摂社 出生恵美須神社>
 牛若丸(のちの源義経)が、奥州へ下向するときに、源家の再興を祈願されたといわれ、「出世恵美須」「門出恵美須」とも称される
 青蓮院塔頭金蔵寺に遷座されていた
 廃仏毀釈により、粟田神社の摂社として遷座された


 <熊野神社
 「白川熊野社」「熊野権現社」と称されていたが、「熊野神社」と改称される

 <熊野若王子神社
 聖護院門跡院家として「正東山若王子乗々院」と号していた
 廃仏毀釈により、聖護院門跡より離れた
 地仏堂は、破却され、現在は宝形だけが残されている
 安置されていた薬師如来坐像は、奈良国立博物館に遷された


 <歓喜光寺(錦天満宮)>
 神仏分離により、錦天満宮だけが残された


 <伴氏神社
 菅原道真の母親のための五輪石塔が建っていた
 神仏分離により、北野天満宮の南隣の東向観音寺に移され、跡地に伴氏神社が建てられた

 <光明院(安井金比羅宮)>
 神仏分離で、廃寺となり、全ての仏像が大覚寺へ移され「安井神社」と称された

 <大通寺(六孫王神社)>
 神仏分離により、大通寺と分離され、さらに、大通寺が国鉄の鉄道用地となり移転する


 <安養寺吉水弁財天堂)>
 神仏分離により、安養寺が東へ移され、弁天堂は飛地境内になって残された


 <石田神社 神輿蔵>
 元神宮寺の福泉寺で薬師如来が祀られていた薬師堂だったもので、普請願書が残されている
 廃仏毀釈により、薬師如来は同じ里垣内にある浄土宗西雲寺に移され、
 北側の出入口に蔀戸(しとみど)があったが、神輿蔵に転用されたときに前扉が付け替えられたといわれる


 <秋葉山秋葉寺(秋葉神社)>
 神仏分離により、秋葉山秋葉寺は解体され、三尺坊大権現は袋井の可睡斎に移り、秋葉山は秋葉神社だけとなる


 <大将軍八神社
 神仏分離令により、陰陽道等の外来神は廃されて、素戔嗚尊とその御子五男三女神、桓武天皇が合祀され、
御子八神と暦神の八神が習合して「大将軍八神社」と称される


 <法蔵寺境内社伊達神社
 神仏分離により、法蔵寺南隣の現在の地に移転する

 <自玉手祭来酒解神社
 神仏分離により「天神八王子社」の称号を廃され、祭神の牛頭天王は「素戔嗚尊」とされる

 <島原住吉神社
 神仏分離令により廃社になり、祭神は、島原歌舞練場に遷された
 その後、現在の地に再興される

 <妙音堂(白雲神社)>
 神仏分離により「白雲神社」と改められる

 <妙泉寺境内社新宮神社
 神仏分離令により妙泉寺から独立して、白鬚神社(しらひげじんじゃ)として独立する

 <梅香山松寿院(棚倉孫神社神宮寺)>
 神仏分離により廃寺となり、寺子屋・田辺小学校の仮校舎として使用される
 その後、現在の社務所として用いられている

 <與杼神社
 多宝塔が、神仏分離で破却された

 <粟嶋神社(粟嶋堂 宗徳寺)>
 神仏分離令により、粟嶋神社は廃され「粟嶋堂」と改称される


 <清水寺
 朝倉堂(重要文化財)には、産土鎮守の地主権現社の本地仏 普賢菩薩像が遷座されている

 <北野経王堂願成就寺(大報恩寺 千本釈迦堂)>
 足利義満が、明徳の乱で敗戦死した山名氏清や兵士を弔うため、内野北野天満宮門前)に建てたといわれる
 廃仏毀釈により破却され、大報恩寺に解体縮小して移築され「北野経王堂」と称される

 <大雲院
 廃仏毀釈により、寺域だった一部に永松小学校が設立されたり、鎮守社だった火除天満宮とも切り離された

 <法厳寺
 廃仏毀釈により荒廃し、寺宝なども流出した

 <慈雲寺
 廃仏毀釈により、洛陽十二支妙見めぐりが衰退する

 <地蔵禅院
 廃仏毀釈により、他所での仏堂や仏具、経典の廃棄に伴い、当院に仏具や経典などが移されてきた

 <寿宝寺
 廃仏毀釈により、近隣の複数の神宮寺などを併合し、多くの仏像などが移されてきた

 <金蔵寺
 愛宕大権現堂には、神仏分離により、愛宕神社より本尊 防火勝軍地蔵愛宕大権現が移され祀られている

 <西本願寺
 新政府による神仏分離令の下で、大教院の管理下におかれていた

 <清凉寺
 愛宕権現社は、愛宕権現を鷹ヶ峰から愛宕山山頂へ移す時に、ここで祀られた跡地で、
 神仏分離以前は、ここで神事が行われていた

 <千手寺
 鐘楼門は、神仏分離以前に白雲寺(現在の愛宕神社)の山門であったもの

 <泉涌寺
 海会堂(かいえどう)は、神仏分離により、京都御所の御黒戸(おくろうど)(仏堂)を移建したもの
 阿弥陀如来坐像の両脇に、歴代天皇・皇后・皇族の御念持仏(ごねんじぶつ)30数体が奉安されている

 <真如堂 新長谷寺
 神仏分離の時に、吉田山から、現在の地に移築されたもの

 <正受院
 廃仏毀釈により荒廃する

 <等観院
 廃仏毀釈などにより、廃寺同然に荒廃する

 <月輪寺
 廃仏毀釈により荒廃し、以来、無住になる

 <養仙寺
 木造 地蔵菩薩立像
 愛宕神社の本地仏として祀らていたが、神仏分離令により当寺に遷されたといわれる
 「将軍地蔵」と称され、足利尊氏の念持仏といわれる

 <善法律寺
 僧形八幡大菩薩坐像は、神仏分離までは、石清水八幡宮の祭神とされていた


 <東向観音寺
 伴氏本廟は、菅原道真の母親を祀る御廟
 北野天満宮の三の鳥居西側(現在の伴氏社の場所)にあったもので「洛中洛外図」などにもよく描かれていた
 廃仏毀釈で移された


 <浄土真宗
 神仏分離の下で、大教院の管理下におかれる


 <京の三弘法巡り>
 毎月21日の弘法さんの縁日に、弘法大師 空海ゆかりの東寺仁和寺神光院を巡礼されていた
 神仏分離のときに廃絶し、その後、復活された


 <放生会
 神仏分離のため、8月15日の放生会は、10月10日の仲秋祭に変更させられた


 <地蔵盆
 廃仏毀釈で地蔵が撤去され、地蔵盆も禁止された時期もあった


 <五条大橋
 擬宝珠が、廃仏毀釈によって全て取り外される
 明治天皇が五条大橋を渡られたときに、擬宝珠が無くなっていることを指摘され、元に戻される

【地方での神仏分離・廃仏毀釈】

 <薩摩藩(鹿児島県)>
 西郷隆盛や大久保利通を輩出した薩摩藩
 第11代藩主 島津斉彬、12代藩主 島津忠義により徹底的な廃仏毀釈が行われる
 藩内寺院1,616カ寺の全てが焼き払われるなど破却され、僧侶2,966人全てが還俗させられた
 歴代薩摩藩藩主が保護してきた島津家ゆかりの菩提寺も破却された
 その後、数年間、鹿児島県には、寺院や仏教施設は一つもなかった
 現在も、鹿児島県には、仏教由来の国宝・国の重要文化財が一つも存在していなし


 <長州藩(山口県)>
 藩士 高杉晋作や伊藤博文などを輩出している
 全国に先んじて、神社における「権現号」などの廃止、仏教的な火葬も禁止された
 政策上記録に残されたものだけでも424カ寺が廃寺となった


 <土佐藩(高知県)>
 坂本龍馬中岡慎太郎などを輩出している
 土佐藩は寺院から土地山林を没収し、還俗をした僧徒などに与え、僧侶の還俗を勧誘した
 当時、615あった寺院の内439カ寺が廃寺となる


 <伊勢国(三重県)>
 神宮がある宇治山田(現在の伊勢市)では
 存在していた4分の3の196の寺院が廃寺となった


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