南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、室町時代の初期の時代
1336年(皇紀1996)延元元年/建武3年に、足利尊氏が、光明天皇を践祚し、北朝を擁立したことで
後醍醐天皇の吉野遷幸により朝廷が分裂してから、
1392年(皇紀2052)元中9年/明徳3年に、3代将軍 足利義満により南北朝が統一されるまで
「吉野朝時代」とも称される
鎌倉時代には、
国衙領や荘園の皇室、公家や寺社の領地には、武家の支配がおよんでいなかったが、
荘園の年貢の半分を幕府に納めることや、年貢の取立てを、武士の統治者である守護が請け負うようになり
実質的な領主となり、国の「守護大名」と称されるようになる
南北朝のどちらが正統であるかを巡り、多くの議論がある
徳川光圀の「大日本史」
徳川光圀は、徳川家の祖とされる新田家の正統性を示すため、南朝を正統としている
明治天皇の裁断
明治天皇により、三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされ、
南朝が吉野にあったため「南北朝時代は」を「吉野朝時代」と称される
京都の三大祭の一つ時代祭における、各時代行列では、
後醍醐天皇に背き吉野に追いやった足利尊氏を逆賊として、時代行列には登場できず
室町時代の隊列もなく、
足利尊氏と戦った楠木正成らの隊列が、吉野時代列として登場している