長岡京(ながおかきょう)は、平安京へ遷都される前の都
山城国乙訓郡(現在の向日市、長岡京市、京都市西京区)にあった
昭和時代前半までは、文献上だけの「幻の都」といわれていたが、中山修一の発掘調査などにより、実在したことが証明された
<平城京からの遷都>
専制的だった桓武天皇は、律令政治の改新のために、巨大な仏教勢力など政治に口をはさむようになった反勢力を排除して
革新的な政治を樹立をしようと、これまで政治の中心だった大和を離れて、平城京から北へ約40kmの地の長岡京に遷都させる
天武系の都から脱して天智系の都を造る意図もあった
<宮殿>
桓武天皇は、自らの宮殿を、街より15mほど高い地に築き、天皇の権威を目に見える形で示した
当時は、旧宮殿を解体して移築するのが一般的であったが、平城京からではなく、淀川で通じている難波宮の宮殿が移築された
都の建築開始からわずか半年で宮殿が完成していたといわれる
<物流>
「続日本紀」によると、
桓武天皇は、「遷都の第一条件は物資の運搬に便利な大きな川がある場所」とされ、藤原種継が「山背国長岡」を奏上したとされる
長岡は、藤原種継の実家があり、支持基盤がある場所でもあった
長岡京の近くには、桂川、宇治川、木津川の3本の大きな川が淀川となる合流点がある
物資を荷揚げする港「山崎津」が設けられ、そこから小さな船に積み替え、直接、都の中に物資を運び入れることができた
<長岡宮跡>
国の重要な施設が置かれ、天皇の住まいである内裏、天皇が政務を司どる大極殿、国儀の場である朝堂院があった
日本最初の史跡公園に指定されている
長岡宮大極殿・小安殿跡
長岡宮朝堂院跡
長岡宮内裏内郭築地回廊跡
長岡宮築地跡
長岡宮東院跡
<藤原種継>
桓武天皇の信任を受け、造長岡京使に任ぜられ、長岡宮造営の中心人物となる
長岡宮造営中に暗殺され、早良親王や多くの処罰者をだした
<大原野神社>
長岡京に遷都されるときに、桓武天皇の皇后 藤原乙牟漏が、藤原氏の氏神である春日大社の分霊を勧請して祀ったのが由来
<中山修一>
文献上だけの「幻の都」といわれていた長岡京を、発掘調査などにより、実在したことを証明した
1000回をこえる長岡京の発掘調査を行い、その保存活動に尽力した