「里」とは平安京の里坊のことであり、「里内裏」とは「京内に置かれた内裏」という意味
平安時代後期以降、内裏はしばしば火事で焼失し、
天皇は、当初は天皇退位後の在所となる後院に移られ仮皇居とされていたが、
既に用いられている場合などには、天皇外戚の邸宅などを仮皇居として用いられた
現在の京都御所は、もとは里内裏の土御門東洞院殿であった
土御門北・東洞院東・正親町南・高倉西にあった
元は藤原邦綱の邸宅
その後、後白河上皇の所有となり、宣陽門院・後深草天皇を経て持明院統の所有となっていた
土御門東洞院殿以外の里内裏も多くあり、一部には石標が建てられている
<冷然院跡(れいぜんいんあと)>
中京区竹屋町通堀川西入
<堀河天皇里内裏跡>
中京区堀川通二条下ル東側
<東三条殿跡>
中京区押小路通釜座西北角
<閑院跡>
中京区押小路通小川西北角
<土御門内裏跡(つちみかどだいりあと)>
上京区烏丸通下長者町上ル
<高松殿跡>
中京区姉小路通釜座東入北側
<大炊御門万里小路殿址(おおいのみかどまでのこうじどのあと)>
中京区富小路通夷川上ル西側
<二条富小路内裏址>
中京区富小路通夷川下ル西側