薬子の変(くすこのへん)(Kusuko no Hen) 京都通メンバ
時期:810年(皇紀1470)大同5年9月

対立:平城上皇と嵯峨天皇

別称:平城太上天皇の変(へいぜいだいじょうてんのうのへん)

 薬子の変(くすこのへん)は、平安時代初期、桓武天皇の崩御後に起こった皇室の対立

 嵯峨天皇に譲位した平城上皇とが対立し、平城上皇が旧都 平城京に遷都させ、東国で挙兵しようとした

 平城天皇の寵愛を受けて大きな利権を得たていた尚侍 藤原薬子と、その兄の参議 藤原仲成らが対立を助長した

 平城上皇の東国下向は阻止され、平城上皇は出家、藤原薬子は服毒自殺、藤原仲成は射殺された

【薬子の変の歴史・経緯】



【薬子の変】

 <平城上皇 対 嵯峨天皇の二所朝廷>
 平城上皇:桓武天皇の第一皇子
  病気となり、叔父 早良親王や伊予親王の祟りによるものと恐れ、災いを避けるために譲位する
  嵯峨天皇が、自分が設置した観察使制度を廃止しようとしたことで、旧都 平城京へ移り対立する
  嵯峨天皇が、藤原薬子の官位を剥奪、藤原仲成を捕らえて右兵衛府に監禁したことで挙兵を試みる
  東向を阻止され、平城京に戻り、剃髮して出家する

 嵯峨天皇桓武天皇の第五皇子
  平城上皇が、平城京遷都の詔勅を出したことで、従いつつ坂上田村麻呂・藤原冬嗣・紀田上らを造宮使に任命し平城京へ派遣する
  坂上田村麻呂に平城上皇の東向阻止を命じる
  平城上皇が挙兵を諦め出家したことで、平城上皇第三皇子 高岳親王を廃太子し、異母弟 大伴親王を立太子させる


 <平城上皇方>
 平城天皇の寵愛を受けて利権を得たていた尚侍 藤原薬子と、その兄の参議 藤原仲成
 平城上皇の復位をもくろみ、二所朝廷の対立を助長する

 藤原薬子:正三位 尚侍
 平城天皇の寵愛を受けて宮中で大きな利権を得たていたことで、平城上皇の復位を企てる
 嵯峨天皇により官位を剥奪され、平城上皇の挙兵を応援し、平城上皇の輿に乗って東に向かう
 東向を阻止され、平城京に戻り、服毒自殺する

 藤原仲成:従四位下 参議
 姉 藤原薬子により大きな利権を得たていたことで、平城上皇の復位を企てる
 嵯峨天皇に捕らえて右兵衛府に監禁、佐渡に左遷されるところ、平城上皇が挙兵を企てたことにより、処刑射殺される


 <嵯峨天皇方>
 平城上皇が出した平城京遷都の詔勅に従いつつ、上皇側を牽制するため
 嵯峨天皇により、坂上田村麻呂・藤原冬嗣・紀田上らが造宮使に任命され平城京へ派遣される
 坂上田村麻呂は大納言に、藤原冬嗣は式部大輔、紀田上は尾張守に昇任される

【その他】

 <藤原式家>
 藤原薬子と藤原仲成の家系
 大宝律令立案や平城京遷都に尽力した藤原不比等の子4人が立てた南家・北家・式家・京家の4家の一つ
 藤原式家は、藤原不比等の三男 藤原宇合を祖とする

 藤原薬子と藤原仲成は、桓武天皇が平城京から長岡京に遷都したとき都造りに尽力した藤原種継の子
 藤原薬子は、長女が桓武天皇の皇太子 安殿親王(平城天皇)に輿入れに伴い、付き添いとして宮仕えを始めたが、
その安殿親王と不倫関係となり寵愛を受け、正三位 尚侍にまで昇任される

 薬子の変により、藤原式家は没落
 藤原不比等の次男 藤原房前を祖とする藤原北家の藤原冬嗣が嵯峨天皇の側近となり、
 藤原北家による藤原摂関政治を築いていく


 <尚侍(ないしのかみ)>
 天皇の側近として、臣下が天皇に対して提出する文書を取り次いだり、天皇の命令を臣下に伝える役目を担った
 藤原薬子は、平城天皇の尚侍となり権勢を振るったが、嵯峨天皇により剥奪された

 <蔵人所>
 天皇家に関する私的な要件の処理や、宮中の物資の調達や警備などを司った役所
 嵯峨天皇により新たに設置され、尚侍の権力が弱まった


 <斎王
 平城上皇と対立していた嵯峨天皇は、王城鎮守の神とされていた賀茂大神(賀茂社)に、
 「我に利を与えてもらえれば、皇女を阿礼少女(あれおとめ)として捧げる」と祈願する

 薬子の変で勝利した嵯峨天皇は誓願に従い、賀茂斎院を創建し、第八皇女の有智子内親王を斎王とする
 以降約400年間、35代の斎王が立てられた


 <今宮神社
 末社 若宮社(紫野斎院)に、薬子の変で処罰された御霊を鎮めるために、御霊が祀られているといわれる


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