天文法華の乱(てんもんほっけのらん)は、戦国時代に起きた宗派間の紛争
天台宗 延暦寺の衆徒が京都法華宗宗徒を武力で洛外へ追放した事件
延暦寺は、園城寺・東寺・祇園社(八坂神社)・興福寺などに援助を求め、6万から15万の衆徒が2万程の法華一揆と対立した
以降6年間ほど、勅許が下るまで洛中での法華宗は禁教状態となった
日蓮宗の立場からは「天文法難(てんもんほうなん)」、他の宗派からは「天文法華の乱」などと称される
<頂妙寺>
構え跡
延暦寺衆徒、南近江の守護六角氏らの攻撃に備えた構え跡が残っている
<洛中洛外図>
町田家旧蔵 町田本 六曲一双(重要文化財)>
現存する洛中洛外図屏風の最古のもの
1525年(皇紀2185)大永5年から1536年(皇紀2196)天文5年頃の天文法華の乱以前の景観が描かれている