秋葉神社(あきばじんじゃ)は、亀岡市市街地の紺屋町にある神社
江戸時代初期に、亀山藩藩主によって、防火の神さんとして勧請された
江戸時代初期
1702年(皇紀2362)元禄15年
遠江浜松藩の青山忠重(あおやまただしげ)が、5万石で亀山藩藩主となる
1703年(皇紀2363)元禄16年4月16日の夜半
亀山城城下で火災が発生し、多く家屋が被災する
この頃、亀山城城下では、火災が多発生して、町家の多くが焼失していた
藩主 青山忠重は、前任地の浜松の防火の神さんである秋葉三尺坊大権現を
城下町の紺屋裏惣堀内側の穴太口に仮宮を建立して勧請し、城下の防火を祈願した
「医王山三尺坊大権現小祠之記」によると、
1732年(皇紀2392)享保17年
亀山城城下の郷長 杉原守建が、青山家3代藩主 青山忠朝に
城下を眼下にすることのできる医王谷の奥の下矢田村小坊主ヶ岳山上に遷座することを願い出る
1750年(皇紀2410)寛延3年
紺屋町穴太口の秋葉三尺坊大権現が、下矢田村に遷座される(現在の下矢田町にある秋葉神社)
遷宮後に残された小祠は、元秋葉として信仰され続け、現在の紺屋町の秋葉神社となっている
<火産霊神>
日本神話に登場する天津神で、火の神さん、防火の神さん
神仏習合により「秋葉三尺坊大権現」とされる
江戸時代
江戸でも防火の神さんに祈願する「秋葉信仰」が爆発的に流行して、秋葉三尺坊大権現が多く祀られた
<本殿>
<惣構土居>
亀山城内外は、内堀・外堀・惣掘の三重のお堀と御土居で仕切られていた
御土居の高さは2間(約3.6m)ほどだった
秋葉神社の境内に遺構が残っている
<イスノキ(亀岡市の名木)>
本殿左側に立っている
樹高約14m、胸高幹周約1.5m
暖帯から亜熱帯の常緑高木で、京都府府下での自生は確認されていないといわれる
成長が遅く、材は緻密でソロバンの玉や橋材や建築材に用いられる
<秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)>
浜松 赤石山脈の最南端にある秋葉山の山頂に祀られている火防の神さん
祭神:火之迦具土神
709年(皇紀1369)和銅2年に創祀される
木造長屋が多かった江戸で、秋葉信仰が爆発的に流行する
1685年(皇紀2345)貞享2年
江戸幕府により、秋葉信仰の禁令が出される