愛宕神社(あたごじんじゃ)は、京都市の最高峰の霊山である愛宕山山上に立つ総本社
古くから防火・鎮火の神さまとして崇敬される
愛宕神社に、三歳までの子供が参拝すると、その子は一代、火難から逃れられるといわれる
本地仏(ほんちぶつ)が、勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)のために武家の崇敬を集めていた
山岳修業霊場として、修験道七高山(しゅうけんどうしちこうざん)の一つ
天狗信仰も生まれ、多くの修験者により、愛宕信仰が全国に広まる
愛宕神社の一之鳥居前に形成された草葺(くさぶき)の農家風の建物、江戸時代の茶屋が軒をつらねる町並みは、
嵯峨鳥居本重要伝統的建造物群保存地区に指定されている
<愛宕山>
京都市 北西部にある標高924mの霊山
山城国と丹波国との国境に位置する
京都から最初に朝日をうけることから「朝日峰(あさひがみね)」とも称される
明治維新、神仏分離令まで
本殿・勝地院・教学院・大善院・威徳院・福寿院などがあった
<黒門>
<嵯峨鳥居本重要伝統的建造物群保存地区>
嵯峨釈迦堂(清凉寺)を経て愛宕神社へ向かう愛宕街道に沿った長さ約600m、面積約2.6haの地域
上地区
愛宕神社一之鳥居に近い地区
草葺(くさぶき)の農家風の建物が軒をつらねる
<勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)>
神仏分離令まで本地仏として本殿に祀られていた
現在は、金蔵寺(西京区大原野)に移され、祀られている
<天狗太郎坊>
若宮社(白雲寺時代の奥の院)に祀られている
<鎮火祭>
4月24日
<千日詣り>
7月31日夕刻より8月1日早朝にかけて行われる通夜祭(つやさい)
正式には、「千日通夜祭(せんにちつうやさい)」と称される
参拝すると、千日分の火伏・防火のご利益が得られるといわれる
麓の清滝から愛宕神社まで、表参道の約4kmの登山道に明かり灯される
夕御饌祭(ゆうみけさい)
7月31日午後9時
山伏の柴燈護摩焚神事
朝御饌祭(あさみけさい)
8月1日午前2時
人長の舞奉奏、鎮火神事
<火臼祭>
11月亥の日
<火迺要慎(ひのようじん)の護符>
家庭や飲食店のおくどさん(釜戸)や台所に貼られる火伏・防火の御札
<愛宕百韻>
1582年(皇紀2242)天正10年5月
本能寺の変の数日前
明智光秀が、愛宕山に参拝し、本能寺の織田信長を攻めるかどうかを占ったといわれ、
凶が3度の出て、4度目に吉を引いたといわれる
翌日、愛宕五坊の一つ西坊威徳院で連歌会が行われた
明智光秀が発句を詠み、脇句を威徳院 行祐法印、第三句を連歌師 里村紹巴が付けた
100韻が詠まれ、書き留めた懐紙が神前に奉納されたといわれる
明智光秀の発句の一つ
「ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)」
<稲荷詣に愛宕詣>
「稲荷詣に愛宕詣」というのは、
「雲が京都の南(伏見稲荷大社)の方へ流れて行くと晴れ、京都の西(愛宕神社)の方へ流れて行くと雨になる」というたとえ
<愛宕さまへは月参>
東海道中膝栗毛二編上「浮世道中膝栗毛後編」に記されている京都人の信仰心を表す俗諺
「伊勢へ七度熊野へ三度、愛宕さまへは月参」