五條天神宮(ごじょうてんしんぐう)は、松原通と西洞院との交差点南西角にある神社
五條天神宮は、「天神」と名が付くが、創建は平安時代初期であり、菅原道真とは無関係
祭神の少彦名命が、薬の神さまで、医家の祖神、医薬・禁厭(きんえん)(おまじない)・農耕の神さまとして信仰されている
節分には、厄除が行われ、日本最古といわれる宝船図が参拝者に授与される
創建当時
洛中では最も古い神社で、広大な鎮守の森を有していた
保元の乱、応仁の乱、蛤御門の変(禁門の変)、鳥羽・伏見の戦いなどの兵火で焼失
再建が繰り返されてきた
明治以後に現在の境内の区画に整理された
現在は、マンションやビルに囲まれてしまい、境内は、駐車場になってしまっている
<社殿>
1864年(皇紀2524)元治元年
蛤御門の変(禁門の変)で社殿が消失
現在の社殿は、その後に再建されたもの
<垂れ桜>
<筑紫天満宮>
祭神:菅原道真
<四社>
福部神社・金刀比良神社・大国主神社・白太夫神社
<稲荷神社>
祭神:倉稻魂命(うかのみたま)
<猿田彦神社>
祭神:猿田彦大神
<辨財天社>
祭神:辨財天
<天使突抜通>
かつて、広大な森を、南北に五丁もある天神さんの細道が続いていた
現在も町名として「天使突抜一丁目」から四丁目として名残っている
<宇治拾遺物語>
醍醐天皇の時代
境内の柿の木に、偽の仏が現れたといわれる
<徒然草203段>
疫病退散の神として、五條天神宮が記されている
<看聞御記>
室町時代
1421年(皇紀2081)応永28年
疫病が流行し、五条天神が流罪になったといわれる