八大神社(はちだいじんじゃ)は、一乗寺、詩仙堂の東隣に位置する一乗寺の産土神
京都の東北隅「表鬼門」に位置しており、方除の神としても厚く信仰されている
「北天王(北の祇園)」とされ、皇居守護神12社中の1社であり、祇園社(現在の八坂神社)と同格であった
後水尾天皇、霊元天皇、光格天皇などの修学院離宮行幸の際には、白銀などが奉納された
剣聖 宮本武蔵が、吉岡一門との決闘に行く途中で立ち寄り、勝運を祈ろうとしたといわれるゆかりの地
<本殿>
1926年(皇紀2586)大正15年
現在の本殿が造営される
<一乗寺下り松>
本殿西横に、宮本武蔵と吉岡一族との決闘を見守ったといわれる「初代の一乗寺下り松」が保存、奉られている
勝運のご利益があるとされる
吉川英治の小説「宮本武蔵」「随筆宮本武蔵」で、吉岡一門との決闘の際の「開悟(悟り)の地」とされている
もともとの古木があった位置は、詩仙堂の前の坂の途中あたり
<宮本武蔵像>
本殿横
2002年(皇紀2662)平成14年10月27日
決闘に挑む宮本武蔵のブロンズ像が建てられる
<鎮守の森>
参道脇にある
<淡墨桜(うすずみざくら)>
鎮守の森に立つ
1993年(皇紀2653)平成5年
岐阜県根尾村から、鎮座七百年祭の記念に植樹されたもの
満開を過ぎると、花びらの色が薄い墨色に変わる
<摂社 皇大神宮社>
天照大御神が祀られている
<末社>
左から、日吉大神社、八幡大神社、賢防大神社、諏訪大神・竈大神社、春日大神・新宮大神社、
赤山大神・貴布祢大神社、加茂大神・柊大神社が祀られている
<境内神社 常盤稲荷神社>
倉稲御魂神が祀られている
<末社 大将軍社>
鷺森大神が祀られている
<末社 山ノ神社・牛宮社>
山ノ神が祀られている
<壁画>
日本最古の木造神社壁画
893年(皇紀1553)寛平5年
巨勢金岡作
<剣鉾>
「柏」「龍」「菊」の三基の剣鉾がある
悪霊を威嚇する威力が示される
<絵地図>
1751年(皇紀2411)宝暦元年に描かれた江戸時代中期の一乗寺の絵地図
<鳥居堅額>
1725年(皇紀2385)享保10年6月
<社頭横額>
1643年(皇紀2303)寛永20年2月
石川丈山の筆
<七御供祭(ななごくうさい)>
初御供祭:1月5日
一年の無病息災が祈願される
草餅御供祭(弥生祭):3月3日
蓬(よもぎ)の団子を、ひし形の五段重ねにして神前にお供えされる
桃の節句と、五穀豊作、氏子の安泰が祈願される
粽御供祭(ちまき ごくさい)(端午祭):5月1日
神前には御供と粽(ちまき)、各社殿の屋根には菖蒲(しょうぶ)と蓬(よもぎ)がお供えされる
端午の節句と、5日の大祭(神幸祭)まで無事に奉仕できるように祈願される
朝御供祭:5月5日
大祭(神幸祭)の早朝、小判型にのばした五重の熨斗(のし)の餅がお供えされる
大祭が、無事に進行されることが祈願される
七夕御供祭:8月7日
立秋の前日、七夕祭として、御供と素麺がお供えされる
稲の生育と、氏子たちの無病息災が祈願される
夜には、夏越大祓が斎行される
栗御供祭:10月上旬
柿、栗がお供えされる
秋の稲の刈り、実りに感謝し、重陽の節句(旧9月9日)を祝う
秋の湯立祭も行われる
髪置・袴着・帯解御供祭 (七五三詣祭):11月3日
子供の健やかな成長を感謝して七五三詣りが行われる
<節分祭(厄除祓神事)>
2月節分
<歳旦祭>
1月元日
<例祭>
5月4日
<宵宮祭>
5月4日午後7時頃より
本殿で、宵宮祭の神事の後、境内の灯火がすべて消され、闇夜の中で神輿へ御神体が遷される
太鼓の合図で神輿が担がれ、本殿前の石段を降り、神楽殿前を往復する
その後、鳥居を出て参道から一乗寺下り松に向かい、そこから北の四つ辻、南の京道の十字路まで巡行する
<神幸祭(氏子祭)>
5月5日
上一乗寺、下一乗寺、一乗寺住宅自治会の神輿が、それぞれの地域で巡行する
<神弓祭(古式弓執神事)>
4月第1日曜日
本殿での神事の後、神前で弓で的を射り、邪気を祓う「歩射祭」
二人の弓執りが、二本の矢をそれぞれ3ずつ的に放つ
<遷御祭(宮座督殿渡し)>
4月第1日曜日
神弓祭の後、神前にて、宮座の督殿引継ぎの儀式「御鍵渡し」が行われる
深夜、督殿家の神床に一年間、祀られていた神号軸(御分霊)が、晒(さらし)で包まれ、無言無燈で送られ、
新しい督殿家の神床に神号軸が遷される
八大神社の御神宝が、天井の床の間寄りに吊るした竹の「お棚」に遷される
この神事は、人と会わないで行われることになっており、昔の村人は、外出を控え消灯して気配りをしていたといわれる
督殿は、一年間その部屋で一人で寝起きをして、早朝に氏子安泰の祝詞を奏上することが日課となる
宮座(みやざ)は、氏子の代表者32名で組織される
督殿(こどの)は、宮座の長
<湯立祭>
神明裁判の一つの禊の神事
事の真偽正邪を裁くため、熱湯に触れ、正しいものはただれず、邪(よこしま)なものはただれるとされる
神前でお湯を沸かし、巫女がその熱湯に笹の葉を浸して、自分の身や、参拝人にふりかけ、神の託宣を得る
八大神社では、夏と秋の年二回行われる
<早苗振祭(さなぶりさい)>
7月上旬
茹でた蚕豆(そらまめ)と、塩押しした胡瓜(きゅうり)がお供えされ、早苗の生育が祈願される
氏子の農家が田植えを済ませた頃に行う湯立祭
<秋季湯立祭>
10月上旬
栗御供祭の日に合わせて行われる
稲の実りに感謝し、取り入れの時期に行われる
吉川英治の小説「宮本武蔵」によると
1604年(皇紀2264)慶長9年
宮本武蔵が21歳の時、八大神社の境内にあった「一乗寺下り松」の下で、吉岡一門と決闘を行った
決闘の朝、宮本武蔵は、八大神社の神に勝利を祈願しようと立ち寄ったが、神の寸前で考え直し、
そのまま戦いに挑んだといわれる
遺文「独行道」によると、「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」と記されている
決戦場の一乗寺下り松は、詩仙堂前の坂の途中あたり