白山神社(はくさんじんじゃ)は、宇治市の白川娑婆山の中腹にある神社
奈良時代に創建され、平安時代には、後冷泉天皇皇后により建立された白川金色院(こんじきいん)の鎮守社とされた
白川神社境内より宇治川まで「もみじ谷」と称される
境内は、京都府「京都の自然200選 歴史的自然環境部門」に選定されている
<京都の自然二百選 歴史的自然環境部門選定>
1995年(皇紀2655)平成7年選定
<本殿>
一間社流造、桧皮葺
<拝殿(重要文化財)>
桁行三間、梁間三間、一重寄棟造(四柱造)、茅葺、住宅風建築
組物は四隅に舟肘木、天井は折上小組格天井、床は拭板敷(ぬぐいいたじき)、柱間は、吹寄桟の腰高障子
1146年(皇紀1806)久安2年
現在の拝殿が、宇治離宮から移築されたとされる
1277年(皇紀1937)建治3年 修復される
<旧金色院 惣門>
参道に残されている
4間2間半、蓮華文軒丸瓦
扁額は、1226年(皇紀1886)嘉禄2年の銘があり、参議 藤原公親筆といわれる
<九重石塔>
基礎の背が低く、格狭間がある
初層軸部に金剛界四方仏の種子が月輪の中に刻まれている
高さ約4m、花崗岩製
鎌倉時代か南北朝時代の作といわれる
後冷泉天皇皇后 四条宮寛子(藤原頼通の娘)の供養塔といわれる
かつては、北の高台に立てられていたといわれる
<白山橋>
門前参道の白川に架かる
<参道石段>
<幣殿>
<三社>
右より
天満社 祭神:菅原道真
神明社 祭神:天照大御神・天児屋命・応神天皇
愛宕社 祭神:愛宕大神(あたごおおかみ)
<道祖社>
<五輪塔>
<旧坊発掘跡石碑>
<もみじ谷>
白川神社境内より宇治川まで
白川神社は、白川の山里の茶畑・棚田が広がる白川娑婆山の山腹(標高80m)の森にあり、カエデが紅葉する
紅葉谷には、ツブラジイ・シリブカガシ・クスノキ・イロハカエデなどが見られる
<白川金色院古絵図>
<白山宮之図>
宇治茶師 林清泉の作
<祈年祭(春祭)> 3月18日
<虫干祭(百味御食)>
7月18日
砂持ちや、拝殿の障子の張替が行われる
砂持ちでは、参道に寺川から上げられた砂が運ばれてまかれる
社前には、三角錐状の「清め砂(立砂)」が2組作られる
<新嘗祭(秋祭)>
10月18日
18日未明、祭礼に先立ち「百味の御食(おんじき)」と称される神饌が供えられる
「百味」とは、山林田畑でとれる食物のことをいい、
稲穂・豆類(金時豆・黒豆・大豆など)・芋類(さつまいも・自然薯・むかご・馬鈴薯など)・きのこ類
種実類(栗・銀杏・胡桃など)・果実類(柿・梨・みかん・棗・鷹の爪・柚子・橙・野葡萄・ザクロ・花梨など)
野菜類(大根・百合根・菊菜・水菜・ごぼう・茄子・蓮根・トマトなど)が供えられる
1970年(皇紀2630)昭和45年頃から、
白川はお茶の産地であることから、
神饌に、茶の枝(あさひ・京みどり・ごこう・やぶきた・こまかげ・さみどりなど)が含まれるようになる
<火焚祭> 12月18日
<金色院(こんじきいん)>
平安時代末期
後冷泉天皇皇后 四条宮寛子(藤原頼通の娘)により、七間四面に金をちりばめた金色院が建立された
周囲には、塔頭十六坊が建ち並んでいたといわれる
明治維新の神仏分離 廃仏毀釈により、残されていた堂塔や坊舎が廃絶されてしまう
白山神社は、金色院の鎮守社とされ、雷除け、歯痛、疱瘡治癒などのご利益が信仰された