羽束師坐高御産日神社(はづかしにますたかみむすびじんじゃ) 京都通メンバ
所在地:京都市伏見区羽束師志水町   鳥居地図情報鳥居

祭神:高皇産霊神、神皇産霊神(かみむすひのかみ)

社格式内社(大社)、郷社

創建:477年(皇紀1137)雄略天皇21年

通称:羽束師神社、羽束師の杜(はづかしのもり)

京都市指定史跡(1996年(皇紀2656)平成8年)

 羽束師坐高御産日神社(はづかしにますたかみむすびじんじゃ)は、伏見区の西羽束師川の東側にある神社

 境内一帯は、深い森「羽束師の杜」にあり、桂川流域の歴史を残す貴重な環境として京都市指定の史跡となっている

【羽束師坐高御産日神社の歴史・経緯】

【羽束師坐高御産日神社の境内】

 <羽束師の杜>
 境内一帯は、深い森におおわれている

 1996年(皇紀2656)平成8年
 桂川流域の歴史を残す貴重な環境として京都市指定の史跡となっている
 境内にあるクスノキは区民の誇りの木に指定されている


 <一の鳥居>
 境内より100mほど南に立っている

 <二の鳥居>
 境内の入口となる
 住吉鳥居(柱に角柱が用いられている)

 <手水舎>
 井戸の上に小さな祠が祀られている

 <拝殿>
 平入、入母屋造、割拝殿
 1850年(皇紀2510)嘉永3年の建立

 <本殿>
 銅板葺、神明造に似た、千木が内削ぎになっているなど独特な形式
 拝殿からは屋根と壁が設けられている
 1850年(皇紀2510)嘉永3年の建立

 <末社11社>
 本殿の左右に祀られている
 808年(皇紀1468)大同3年12月
 朝廷の祭司 斎部廣成(いんべのひろなり)が、諸国平治、国家の安穏を祈願するために、平城天皇の勅を得て十一神を勧請された

 本殿の左側(西側)左から順に
  貴布祢大神:貴船神社から勧請
  えびす神:西宮神社(兵庫県)から勧請
  稲荷大神伏見稲荷大社から勧請
  嚴嶋大神:厳島神社(広島県)から勧請
  愛宕大神:愛宕神社から勧請
  若一王子大神:若一神社から勧請

 本殿の右側(東側)左から順に   天照大御神伊勢神宮(内宮)から勧請
  八幡大神:石清水八幡宮から勧請
  春日大神:春日大社(奈良県)から勧請
  大三輪大神(おおみわおおかみ):大神神社(奈良県)から勧請
  籠勝手明神(かごかってみょうじん):勧請元不明


 <稲荷大神>
 本殿の右側(東側)の境内社群の奥に祀られている

 <末社>
 拝殿前の左側(西側)に祀られている
 祠に石が安置されている

 <末社>
 境内の西側にに祀られている
 「治水頌功之碑」が立てられている

 <羽束師大神>
 境内の南西側に小祠があり扁額がかけられている
 石仏が祀られている


 <北向見返天満宮(きたむきみかえりてんまんぐう)>
 境内より100mほど南の一の鳥居の東にある
 901年(皇紀1561)延喜元年2月
 菅原道真が筑前国太宰府に左遷されたときに、羽束師神社に参詣になり、
 「君臣 縁の切れしを再び結び給へ」とご祈願され
 「捨てられて 思うおもいの しげるをや 身をはづかしの 森というらん」と詠まれた

 955年(皇紀1615)天暦9年
 郷人たちにより社が創建される

 菅原道真が、都の方向(北)に向いて歌を詠まれたことにちなみ名付けられた

【羽束師坐高御産日神社の祭事】

 <羽束師祭>
 5月第2日曜日
 五穀豊穣と地域の安寧が祈願される

 高皇産霊神の一柱がお神輿に奉安される
 羽束師の志水町・古川町・菱川町・樋爪町の4町を担ぎ手約150人で巡幸する

 羽束師舞・舞楽なども奉納される

 江戸時代中期
 1708年(皇紀2368)宝永5年
 お神輿2基が修復されている
 1937年(皇紀2597)昭和12年
 戦火の拡大により、お神輿の巡幸が中止になる
 2007年(皇紀2667)平成19年
 70年ぶりに、お神輿1基での巡幸が復活する


 <新嘗祭>
 11月23日
 羽束師舞・舞楽などが奉納される

【羽束師坐高御産日神社へのアクセス】

 市バス 菱川町 もしくは 樋爪口 徒歩約5分

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