<本殿>
本殿脇には、タラヨウ、オガタマノキが対で立っている
<拝殿>
<稲荷社>
<本殿基壇の石垣(重要文化財)>
高さ3m
豊臣秀吉が山内一豊に命じて社殿を再建したとき、
各大名には石垣の寄進が命じられ、その石には大名の家紋など「寄進印」が刻まれている
家紋には、木瓜・松皮菱・三つ星や、家名には、木村・松尾などがある
<石碑「賀茂斎院跡」>
門前に建てられている
<鹿像>
春日大神の神の使いとされる
1872年(皇紀2532)明治5年まで
毎年春になると、どこからともなく一頭の鹿が神前に現れ、奈良の春日神社へ送られていたといわれる
<春日大社の石碑>
<御神木>
クロガネモチの木
樹齢約500年
愛の祈願成就のパワースポットとされる
<斎王代参拝>
4月下旬
葵祭に先立って、斎王代が、上賀茂神社・下鴨神社の参拝後、櫟谷七野神社に参拝する
「賀茂斎院跡」の碑の前で御払いをした後、神前に献茶し、玉ぐしを供える
<例祭日> 10月16日
<櫟谷(いちいだに)>
山城国葛野郡櫟谷
文徳天皇の皇后 藤原明子さまがご懐妊のとき、春日大社が勧請された地といわれる
<七野>
もと船岡山麓一帯にあった原野で、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野のこと
これら七野の惣社として祀られたといわれる
応仁の乱の戦場で荒れ果てた七野各社を高台の一所に集めて再興が図られたともいわれる
<七ノ社>
春日・伊勢・石清水・賀茂・平野・松尾・稲荷の七神を七ノ社としたともいわれる
<高砂山祈願(恋愛成就・浮気封じ・復縁祈願)>
宇多天皇の皇后が、天皇の愛情を取り戻してほしいと祈願したところ、
社前の白い砂を三笠山の形に積み祈願せよとのお告げを得て、その通りに砂山を作りお祈りすると
天皇の愛情が戻ったといわれる
これにちなみ「高砂大明神」「高砂社」とも称される
社頭に備え付けの白砂を三笠山の形に積み、同封の用紙に祈願の願いごとを記入し
本殿内の賽銭箱にお納めると、神前でご祈願していただける
浮気封じの信仰もあり、夜半に参り砂で三笠山(高砂山)を築く
特に、丑の刻参りがご利益があるといわれる
ただし、他人に姿を見られると顔つぶれ(水の泡)になるといわれる
<葵祭の斎王(代)行列発祥の地>
平安時代から鎌倉時代にかけて
この地は、賀茂社に奉仕する斎内親王(斎王)が身を清めて住まわれた御所(斎院)のあった賀茂斎院跡
「紫野斎院」とも称された
この斎院の敷地は、大宮通と慮山寺通を東南の角としており、約150m四方を占めていた
毎年、葵祭で斎王代に選ばれる女性は、櫟谷七野神社で初神事を行い、顕彰碑の前でお祓いを受け、神前に献茶し参拝をされる
<有栖川>
船岡山の南から大宮通を南流し、堀川に合流していた
境内を流れ、斎王の禊祓いが行われていたといわれる