風宮(かぜのみや)は、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)の境内別宮
外宮正宮の南の檜尾山(ひのきおやま)の麓、多賀宮へ上る石階のすぐ左側に、土宮とは反対側(東側)にある
内宮別宮の風日祈宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命が祀られている
別宮とは正宮の「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされ、外宮の4つの別宮の中では、
最後に別宮となり、第4位とされる
<級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)>
内宮別宮 風日祈宮と同じ祭神
風雨を司る神さん
本来は、農耕に適した風雨をもたらす神さんであった
鎌倉時代
2度にわたる元寇襲来のときに、朝廷より二条為氏大納言が勅使として神宮に派遣され祈願されたところ、
両社の社殿が鳴動して赤い雲が立ち上がり、西の方に駆け抜けて行き、
西の海に神風を起こして元兵を全滅させ国を守ったご神威によって、
それ以降は日本の国難に際して、神明のご加護によって国家の平安を護る神さんとされる
明治時代以前は、航海の守護神としても崇敬を集めた
幕末維新のときには、黒船を追い払う攘夷祈願も行われた
元神宮祭主 北白川房子の御歌
「ふく風は 身にすがすがし 風の宮 御世も御国も いや守りませ」
外宮正宮の南の檜尾山(ひのきおやま)の麓、
正宮前の池の横の亀石を渡り、多賀宮へ上る石階のすぐ左側に、土宮とは反対側(東側)にある
<本殿>
外宮に準じ、外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造
南面している
<古殿地>
遷宮のための敷地が東西に隣接している
<亀石>
正宮から別宮へ向かうときの御池の川のかかる橋
一枚岩で、亀に似ている
高倉山の天岩戸の入口の岩を運んできたものといわれる
外宮正宮に準じた祭事が行なわれる
祈年祭・月次祭・神嘗祭・新嘗祭では、皇室からの幣帛(へいはく)があるが、
勅使は外宮の別宮では多賀宮のみに参行される
<風日祈祭(かざひのみさい)>
5月14日と8月4日
風雨の災害が無く、五穀の豊穣が祈願される
「皇太神宮儀式帳(804年(皇紀1464)延暦23年)」によると、
4月10日(現在の5月14日)に、農耕に都合のよい風雨をもたらす神として、風雨の平らかなることを祈願して
蓑や笠を奉納する神事が行われていた
鎌倉時代の頃には、「御笠の神事(みかさのしんじ)」とも称された
「皇太神宮儀式帳」には、
7月・8月の2ヶ月間、風雨の安定と五穀の豊穣を朝夕日毎に祈願する「日祈内人(ひのみのうちんど)」が
行われていたことが記されている
その後、7月4日(現在の8月4日)の1日のみ行われるようになる
その後、御笠の神事と日祈内人の神事の年2回の神事を「風日祈祭」と称されるようになる