月夜見宮(つきよみのみや)は、伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)の境外別宮
豊受大神宮(外宮)から北に徒歩約10分のところ伊勢市の中心街にある
かつて「高河原(たかがわら)」と称され、農耕の神さんを祀る社であったといわれる
内宮別宮の月讀宮の祭神 月読尊と同じ神さん
別宮とは正宮の「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされ、
外宮の4つの別宮の中では、多賀宮・土宮に次ぐ第3位で、風宮より上位とされる
内宮には境外別宮が月讀宮・瀧原宮・伊雑宮・倭姫宮の4社あるが、外宮の境外別宮は月夜見宮の1社のみ
<月夜見尊>
皇大神宮(内宮)の祭神の天照大御神の弟神
内宮別宮の月讀宮の祭神 月読尊と同じ神さん
外宮では日本書紀での表記と、内宮では古事記での表記となっている
「古事記」上巻では、
黄泉の国から戻った伊弉諾尊が禊ぎをしたときに、右目から天照大御神が、
左目から月読尊がお生まれになった
「日本書紀」上巻には、
伊邪那岐命と伊邪那美命の2柱の親神が、天照大御神を生み、
次に月読尊を生みになられ、その光彩(ひかりうるわしいこと)が、天照大御神に亜ぐ(つぐ)ものであると讃えられ、
月夜見尊には夜之食国(よるのおすくに)を治めるようにと委任されたと記されている
月は暦となり、潮の満ち引きとも深い関わりがあるため、昔から農耕や漁民の信仰を集めてきた
皇大神宮(内宮)別宮の月讀宮では、月読尊と月讀尊荒御魂がそれぞれ別の社で祀られているが、
月夜見宮では、月夜見尊と月夜見尊荒御魂が一つの社に合わせて祀られている
境内は、伊勢山田の中心部で、古く は「高河原」と称された宮川の河畔地帯であった
境内には、楠(くす)・欅(けやき)・杉などの常緑の木々が生い茂っている
<社殿>
外宮に準じ、外削ぎの千木と、奇数5本の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している
<外宮摂社 高河原神社(たかがわらじんじゃ)>
外宮に準じ、外削ぎの千木、奇数3本の鰹木、板葺の神明造で、南面している
<古殿地>
遷宮のための敷地が東西に隣接している
<宿衛屋(しゅくえいや)>
神職が参拝時間内に常駐している
お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎが行われている
<堀>
境内北側
治水工事が行なわれる江戸時代以前の宮川の分流の名残といわれる
堀の北側を通る三重県道37号鳥羽松阪線は、毎年10月の神嘗祭のときに行なわれる初穂曳において、
外宮へ初穂を搬入する奉曳車が通る道となっている
外宮正宮に準じた祭事が行なわれる
祈年祭・月次祭・神嘗祭・新嘗祭では、皇室からの幣帛(へいはく)があるが、
勅使は外宮の別宮では多賀宮のみに参行される
<神路通(かみじどおり)>
外宮の北御門(きたみかど)から真っすぐ月夜見宮に至る宮後町の幅4m程の道
「神さんが通る道」とされ、道の真ん中は歩かず、穢れに触れてしまった者はその道を避けて通らないようにした
町に伝承される歌
宮柱建て初めしより月讀の神の生きかふ中のふる道
月讀の宮仕へとて夙(つと)に起き通ふ神路を清めざらめや
<御木曳初式(おきひきぞめしき)>
外宮に準じて、20年に一度、遷宮が行なわれ、用材を奉納するための祭事
かつては、月夜見宮のある宮後町の町民が役木を曳いて用材を奉納していたが、
あるとき、八日市場町にさしかかったときに宮後町で火事が起き、宮後町の曳き手が消火のため戻ってしまい、
八日市場町の町民が代わって役木を曳いて納めたことから、それ以来、八日市場町の町民が、
役木を月夜見宮に奉曳することになったといわれる
2006年(皇紀2666)平成18年4月13日
第62回式年遷宮御木曳初式が行われる
外宮と、外宮境内別宮へ用材を奉納する他の6奉曳団は外宮北御門前の交差点を右折
八日市場奉曳団は反対方向へ左折し、神路通を経て月夜見宮へ用材を奉納した