倭姫宮(やまとひめのみや)は、伊勢神宮の皇大神宮(内宮)の境外別宮
内宮と外宮を結ぶ約5kmの並木道路(御幸道路)の中ほどにある倉田山にある
神宮の創建に尽力した第11代垂仁天皇の皇女 倭姫命(やまとひめのみこと)が祀られている
神宮の宮社の中で最も新しい社で、14ある別宮の中で、唯一創建が明確になっている
<倭姫命(やまとひめのみこと)>
第11代垂仁天皇の皇女
第10代崇神天皇の皇女 豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)の後を継いで
「御杖代(みつえしろ)」として皇大御神(すめおおみかみ)に奉仕される
「日本書紀」によると
BC5年(皇紀656)垂仁天皇25年3月
「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて伊勢国に至る」とあり、
倭姫命が、新たに天照大御神を祀るための土地を探して旅をしたと記されている
倭姫命は大和・伊賀・近江・美濃の諸国を巡られ、その途中に一時的に鎮座された場所は「元伊勢」と称される
BC4年(皇紀657)垂仁天皇26年
伊勢国にたどり着いたとき、「この国に留まりたい」という天照大御神の神託があり、
倭姫命は、五十鈴川上流の現在の地に祠を建てて祀り、「磯宮」と称したといわれる
その後、倭姫命は、神嘗祭など年中の祭を定め、神田や各種ご料品を奉る神領を選定し、
禰宜(ねぎ)、大物忌(おおものいみ)など奉仕者の職掌を定め、斎戒(さいかい)や祓(はらえ)の定めを示し、
神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀や経営・神職の制度・神道の基礎などを確立された
倉田山の中の約4haの常緑の森が宮域となっている
<社殿>
内宮に準じ、内削ぎの千木と、偶数の6本の鰹木を持つ神明造で萱葺で南面している
周囲には門のある瑞垣と玉垣がある
<宿衛屋(しゅくえいや)>
神職が参拝時間内に常駐している
お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎが行われている
御衣祭(おんぞさい)以外、内宮正宮に準じた祭事が行なわれる
祈年祭・月次祭・神嘗祭・新嘗祭には、皇室からの幣帛(へいはく)がある
<倭姫宮御杖代講奉賛会>
1948年(皇紀2608)昭和23年
伊勢市在住の崇敬者を中心に御杖代講(みつえしろこう)が発足する
後に、「倭姫宮御杖代講奉賛会」と改称する
毎年5月と11月5日に例大祭を行なうなどの活動をしている
<倉田山>
内宮と外宮を結ぶ約5kmの並木道路(御幸道路)の中ほどにある丘
神宮徴古館(じんぐうちょうこかん)・農業館・美術館・神宮文庫・皇学館大学等がある
<尾上御陵(おべごりょう)>
倉田山に隣接する間の山(あいのやま)にある小さな古墳
倭姫命の陵墓とする伝承がある
円墳とする説と前方後円墳とする説がある
1868年(皇紀2528)明治元年
御陵のある常明寺門前町が「倭町(やまとまち)」と改称した