地主神社(じしゅじんじゃ)は、清水寺の境内に立つ鎮守社で、縁結びの神として信仰を集めている
坂上田村麻呂も祀られているともいわれる
「地主桜(じしゅざくら)」「御車返桜」と称される桜があり、謡曲「田村」でも美しさを賞賛された桜の名所
1本の桜の樹に八重と一重の花をつけるという珍しい桜
地主神社のあたりは、古来「名勝蓬来山」と称され、不老長寿の霊山として信仰を集めてきた
清水八坂一帯の産土神で「地主権現(じしゅごんげん)」と称されていた
清水寺とともに世界遺産(古都京都の文化財)の一つに登録されている
<大国主命>
祭神 素戔嗚尊は、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して奇稲田姫を救い妻とする
その夫婦神の間に生まれたのが、縁むすびの神さまの大国主命
祭神 足摩乳命(あしなずちのみこと)と手摩乳命(てなづちのみこと)は、奇稲田姫の父母神
正殿に、代続きの神々が祀られ、子授け祈願・安産祈願の信仰も集めている
相殿に祀られている、
大田大神は、芸能と長寿の神様
龍は、旅行安全・交通安全の神様
思兼大神は、知恵と才能の神様
<本殿(重要文化財)>
入母屋造と権現造の様式を兼ね備えた法隆寺と同じ双堂建築で、日本最古の神社建築様式
外陣、内陣ともに山形天井の珍しい様式(一般には、格天井か折上格天井)
桧皮葺極彩色で金箔を施した装飾金具が使われており、平安朝の優雅さと桃山文化の雄大さを巧みに取り入れた華麗優美な建築
円柱の一つ一つに異なる金蘭巻文様(きんらんまきもんよう)が描かれている
1633年(皇紀2293)寛永10年
現在の本殿が、三代将軍 徳川家光により再建される
<拝殿(重要文化財)>
1633年(皇紀2293)寛永10年
徳川家光により再建される
南側正面が崖になっており、舞台造になっている
天井は、平板を並べて張った鏡天井
鏡天井には、狩野元信の筆による雲龍図・丸竜が描かれている
この龍は、夜ごと天井を抜け出して、音羽の滝の水を飲むために、目に釘を打ちつけたといわれる
どの方角から眺めても自分の方をにらんでいるように見える「八方にらみの竜」と称される
清水寺の七不思議の一つなっている
<総門(重要文化財)>
1633年(皇紀2293)寛永10年に徳川家光により再建される
正面は、柱が鳥居の形となっている
<地主桜>
嵯峨天皇が、地主桜の美しさに三度車を返されたことから、「御車返桜」の名前の由来となる
<恋占いの石>
本殿前にある1対の立石
一方の石から、10mほど離れた他方の石へ、目を閉じて歩いていければ願いが叶うといわれる
アメリカの原子物理学者 ボースト博士により、縄文時代の石であることが証明された
<船着き場>
地主神社の東隣下の崖に残る
京都盆地が湖であった時代に、地主神社の境内地は島であり、「蓬莱の島」として信仰を集めていたとされる
<おかげ明神社>
どんな願い事も一つだけなら必ず「おかげ(ご利益)」がいただけるといわれる一願成就の守り神
特に、女性の守り神として信仰を集めている
<撫で大国>
願いをこめて大国さんを撫でると、ご利益をいただけるという
こずち:良縁・開運・厄除け
あたま:受験・成績向上
おなか:安産祈願・子授け祈願
手:勝運・芸能上達
足:旅行安全・交通安全
たわら:出世・土地守護・家内安全・夫婦円満
福袋:金運・商売繁盛
病気回復には、その部位を撫でる
<大国主命と因幡の白兎>
境内入口参道の右側に立っている
大国主命は、打ち出の小槌を持った右手をあげている
兎は、二本足立ちしていて御幣を持っている
<水かけ地蔵>
長い年月、地主神社の地下で修行され、近年、出てこられたという地蔵
厳しい難行・苦行のために、顔や体の一部がなくなったといわれる
水をかけて祈願を行う
<末社 栗光稲荷社>
商売繁盛のご利益がある
<恋の願かけ絵馬>
<いのり杉>
おかげ明神の後ろに立つ神木
かつて、「丑の刻まいり(うしのときくまいり)」で使われ、「のろい杉」とも称される
顔を真っ白に化粧をし、白衣を着て、頭にローソクを立て、午前2時の丑の刻に、
恨む相手の人形(ひとがた)となるワラ人形を、この神木に打ちつけ、呪いの願をかけたといわれる
その五寸釘の後が、無数に残っている
<歌碑>
「地主からは 木の間の花の 都かな」 季吟
<句碑>
「その上の 地主の桜の花の下 恋占いの石 おもしろき」
<えんむすび地主祭>
毎月第一日曜日
縁結び・恋愛成就・開運招福の祈願が行われる
<初大国祭>
1月1~3日
良縁を祈願して、恋占い石にお祓いをする
<さくら祭>
4月第3日曜日
縁結び祈願
平安時代の故事にのっとった厳かな神事が行われる
白川女により、本殿に地主桜の枝が献花される
<地主祭(じしゅまつり)>
5月5日
地主神社の幟を先頭に、神官・巫女・白川女などの列が出発し、
途中、稚児や武者行列が加わり清水坂、産寧坂、茶碗坂を巡行する
その後、神社に戻り、本殿において例大祭が行われる
<夏越祓(なごしのはらい)>
6月30日
本殿前にて、茅の輪くぐりが行われる
<七夕祭>
7月7日
お祓い紙で作られた「七夕こけし」に名前を書いて笹竹に吊るし、良縁達成・恋愛成就を祈願する
<もみじ祭>
紅葉の名所
拝殿で、剣の舞、もみじの舞の奉納が行われる
<しまい大国祭>
12月3日
結縁祈願が行われ、その年の無病息災が感謝される
新年干支絵馬が授与される
<能の演目・謡曲>
地主桜(じしゅざくら)が、「田村」「熊野(ゆや)」など、多くの能・謡曲に「地主権現の花(ごんげんのはな)」と謡われている
謡曲「田村」では、東国の僧が清水寺を参拝し、地主桜を観賞していると、
地主権現の花守が「僧 賢心(がんしん)が坂上田村麿を檀那(だんな)として清水寺を建立した由来」を語り、田村堂に消える
僧の読経に、坂上田村麿が現われ、「東夷(とうい)の平定を成し得たのは観音さまの仏力(ぶつりき)のおかげ」と伝える
謡曲「熊野」では、平宗盛(たいらのむねもり)の愛妾 熊野(ゆや)が、清水寺の音羽の山桜や、地主桜の花見をして、
故郷の母親の病を案ずる歌を詠んだことに心打たれ、平宗盛は熊野の帰郷を許す
<俳人 北村季吟>
江戸時代の、松尾芭蕉の師でもあった俳人
1706年(皇紀2366)宝永3年 死去
地主桜の淡いピンク色の花の美しさを歌った句 「地主からは木の間の花の都かな」