城南宮(じょうなんぐう)は、伏見区の京都南インターチェンジの近く、鳥羽離宮にある神社
平安京遷都にあたり、王城の南の守護神として創建された神社
城南宮がある鳥羽の地は、平安京の表玄関に当たる交通の要衝であった
鴨川の水郷の景勝地でもあり、貴族の別荘地となる
平安時代後期には、白河上皇が院政を行うために造営した鳥羽離宮の鎮守社とされる
内裏(御所)の裏鬼門にあたり、方除けの神として信仰を集めるが、現在は交通安全の神様としても信仰されている
上鳥羽・下鳥羽・竹田の三か村の産土神(うぶすながみ)として崇敬される
梅、桜、2月の椿、3月の馬酔木(あしび)、5月の藤、6月の沙羅(さら)・梔子(くちなし)・桔梗(ききょう)、
9月の萩・菊、10月のりんどう、石蕗(つわぶき)、11月の山茶花(さざんか)など花の名所
紅葉の名所でもある
<本殿>
<拝殿>
<一の鳥居>
<二の鳥居>
<菊水若水(きくすいわかみず)>
伏見の名水
江戸時代中期の随筆によると、
城南宮の菊水(若水)(延命水)の井戸の水を飲むとあらゆる病が治るといわれ、毎日、参拝者が絶えず、
霊元法皇の歯痛も治ったといわれる
お百度を踏んで水を持ち帰って病人に授ける信仰があったといわれる
東大寺のお水取りの水は、若狭・遠敷川から、菊水若水の井戸を通り、二月堂の若狭井に達するといわれる
本殿右側に立つ
<春日社>
祭神:春日大神
<大国主社>
祭神:大国主命
<申社>
祭神:猿田彦大神
<二社>
妙見社:妙見大神(みょうけんおおかみ)
天満宮社:菅原道真
<金刀比羅社>
祭神:金刀比羅大神(ことひらおおかみ)
本殿左側に立つ
<稲荷社>
祭神:倉稲御魂神
<厳島社>
祭神:厳島大神(いつくしまおおかみ)
<住吉社>
祭神:住吉大神
<兵主社>
祭神:兵主大神
<粟島社>
祭神:粟島大神(あわしまおおかみ)
<三照宮>
祭神:天照大御神
<真幡木神社(式内社)>
祭神:眞幡寸大神(まはたきのおおかみ)・品陀和氣尊(ほむだわけのみこと)
平安京遷都以前のこの地の有力者 秦氏の氏神といわれる
<芹川神社>
祭神:菅原道真
社殿を取り囲むように広がる神苑
伏見の地下水が引き入れられた遣水(小川)や池が広がる庭園
白河上皇は、城南離宮を造営する際に、「源氏物語」に描かれた光源氏の四季の庭を備えた六條院をモデルにしたといわれる
苑内のあちこちに「源氏物語」に登場するほとんどの植物(約100種類)が栽培されている
春の山・平安の庭・室町の庭・桃山の庭・城南離宮の庭の趣きの異なる5つの庭からなる
「春の山」と対を成す「秋の山(史蹟公園)」が国道を隔てた西にある
<春の山>
椿、枝垂れ梅、三つ葉ツツジ、ササユリなどの春の草木が賑わす
人形流し(ひとがたながし) 6月末
禊の小川(みそぎのおがわ)で、半年間の穢を遣水(小川)に流して心身を清める神事が行われる
<平安の庭>
社殿の前に広がる池に、段落ちの滝と遣水(小川)が注ぐ
池の周囲には、秋の七草のオミナエシや萩、リンドウが咲く
池には、舟が浮かばされ、中ノ島には、各地から名石を集められて景色が整えられている
4月29日と11月3日には曲水の宴が行われる
<室町の庭>
池泉廻遊式の静寂な庭
茶室 楽水軒が建つ
池中央の蓬莱島の奥の三尊石、楽水軒の前の礼拝石と、風格のある石組みが配されている
入口に雌滝、奥に雄滝があり、舟付き場にフジ(藤)、ツツジが咲く花の名所
<桃山の庭>
大きな刈り込みの前に緑の芝生が広がる桃山時代の枯山水庭園
刈り込みが紀州の山並み、広々とした芝生が太平洋、点在する岩が小島を表しているともいわれる
紅枝垂れ桜が咲く
茶室 水石亭が奥の高台に建つ
<城南離宮の庭>
離宮時代の枯山水庭園
玉砂利が離宮の池を、緑濃い龍の鬚が覆う部分が陸地を、岩組みが諸殿を表している
9月20日には、祈雨祈願や競馬(くらべうま)が催される鳥羽城南寺明神御霊会が行われていた
<湯立神楽(ゆたてかぐら)>
1月20日
釜の湯をササの葉で散らして邪気を祓い無病息災を祈願する神事
「文政6年」(1823年(皇紀2483)文政6年)の銘の入った直径約70cmの大きな釜が火にかけられ、
沸き立つ湯に米や酒が入れられ、
扇や鈴、榊(さかき)の葉を持った巫女(みこ)が舞い、ササの葉が湯に浸けられて撒かれる
「招福無病息災」と書いた短冊をつけたササが販売される
<七草粥>
2月11日
<曲水の宴>
4月29日、11月3日の春秋の2回
楽水苑 平安の庭にて王朝風俗が再現される
歌人が小川のそばに座り、上流から流れてくる盃が自分の前を流れ過ぎる前に和歌を作り、
盃を取り上げて酒を飲む宴
現在、城南宮で用いている羽觴は、御所の杉戸絵を参考に復元したもの
羽觴(うしょう)とは、おしどりの姿をした盃の台のことをいう
<流鏑馬(やぶさめ)>
5月28日
白河上皇によって城南離宮(鳥羽離宮)が造営され、城南祭では流鏑馬(やぶさめ)や競馬(くらべうま)が行われたといわれ、
「流鏑馬発祥の地」とされる
鎌倉時代初期
1221年(皇紀1881)承久3年
後鳥羽上皇が、城南流鏑馬の武者揃えと称して兵を集め、鎌倉幕府を倒そうとした承久の乱が起きて以来、途絶えていた
2005年(皇紀2665)平成17年
東京都の愛好団体「倭式弓馬会(わしききゅうばかい)」により約800年ぶりに再現された
石畳の参道に、幅1.8m、厚さ15cmの砂を敷いて180mの馬場が作られ、
平安狩装束姿(かりしょうぞくすがた)の4人が、駆ける馬から矢を放って3つの的を射止める
<夏越祓(なごしのはらい)>
6月25日〜7月7日
茅の輪をくぐった後、神苑の春の山に進み人形(ひとがた)を禊の小川に流す
車がくぐれるジャンボ茅の輪もある
<神幸祭>
10月第3日曜日
平安時代末期からの伝統的な祭事
重さ約1.5tある3基の豪華な神輿(みこし)が、氏子区域を渡御する
夕刻、提灯と松明の明かりの中、神輿が還御してくる
江戸時代には、祭に訪れた人々に貴重な餅を振舞われる慣わしがあり、「餅祭」とも称される
<鳥羽・伏見の戦い>
1868年(皇紀2528)慶応4年1月2日
旧幕府軍、会津藩・桑名藩の藩兵が、大阪から京都に侵攻する
翌1月3日
朝廷は、薩摩藩・長州藩・土佐藩の諸藩兵を鳥羽・伏見に配置する
伏見では、御香宮神社付近に陣を構え、
鳥羽では、城南宮の参道に薩摩藩の大砲が並べられ、鳥羽・伏見の戦いの勃発の地となる