西院春日神社(さいいんかすがじんじゃ)は、西院にある神社
病気平癒、厄除、交通旅行安全の信仰を集める
<本殿>
<舞殿>
<能舞台>
<還来神社(もどろきじんじゃ)>
祭神:還来大神
旅行安全、還来成就の守り神
平安時代初期
874年(皇紀1534)貞観16年4月19日
淳和院が火災に見舞われ、避難した正子内親王らが、その後、洞裏院に無事に還御されたとき、
「洞裏院が類焼を免れて無事還り来るは是れまったく神の加護である」といわれ祀られる
戦時中には、出征兵士の無事帰還を願う家族が多数訪れたといわれる
ご祈願、御礼のときには、「わらじ奉納」が行われる
<霊石 疱瘡石>
淳和天皇 皇女 崇子内親王が疱瘡(ほうそう)にかかり、西院春日神社でご祈願をされると、神前の石が崇子内親王の
身代りとして疱瘡になり、崇子内親王の疱瘡が完治されたという故事がある
病気平癒、無病息災の守護神として崇められている
都に疫病が流行ると、この石の表面が必ずぬれるといわれる
本殿で定期的に公開されている
<梛石(なぎいし)>
御神前の神石
撫でて病気平癒、厄除、交通旅行安全が祈願される
<神木 梛の木(なぎのき)>
梛の葉は、身につけると「災難除け」のお守りになり、
鏡の下に敷くと「夫婦和合」のお守りになるというご利益がある
梛(なぎ)は「凪」に通じ、海上の風波の鎮まることに通じるといわれる
<仁孝天皇 御胞衣塚(おえなづか)>
江戸時代後期
1800年(皇紀2460)寛政12年2月21日
仁孝天皇の御降誕のときに、吉の方角にあたる西院春日神社に、御胞衣(おえな)が埋蔵される
御胞衣とは、「後産」ともいわれるお産の後に出てくる胎盤をいう
宮中では、御胞衣を吉方にあたる場所に埋蔵し、その子の健やかなご成育を祈願する慣行があった
<一願蛙>
手水舎の隣にある蛙の石像
大きな蛙の背中に2匹の小さな蛙が乗っている
3匹のカエルから「身にかえる」や「見返る」といわれ、水をかけて祈願すると自分の身に返ってくるといわれる
<藤棚>
境内の西にある白い山藤
<八重桜>
境内東の鳥居の近くにある
<戦没者招魂碑>
日清戦争以降の戦争における西院地区の戦没者が祀られる
1901年(皇紀2561)明治34年に嵐電西院駅付近に建てられたもの
1928年(皇紀2588)昭和3年に境内へ移設され、その後に碑の石が改築された
毎月1日・11日・15日 病気平癒霊石「疱瘡石」特別公開
<歳旦祭> 1月1日
<若菜祭> 1月7日
<藤花祭(幣帛供進使・斎女ご参向)> 4月29日
<夏越大祓> 6月30日
<春日祭>
10月第2土曜日・日曜日
無病息災、五穀豊穣を感謝する祭
淳和天皇が奈良の春日大社から御神霊を迎え創建されてからの祭事
江戸時代初期に製作された2基の神輿と5基の剣鉾、総勢約1000名が練り歩く
西院の拝殿回り
神輿は、巡行を終えて還御直前に拝殿を三度回る
剣鉾拝殿回り
長さ約7~8mの鉾を垂直に立て、腰を落として上下することにより鈴(りん)を二度鳴らされる
剣鉾は、祇園祭の鉾の原型といわれる
東組神輿 千木(ちぎ)
江戸時代の製作
重量約2トン、絢爛豪華な神輿
西組神輿 卯ノ鳥(うのとり)
江戸時代の製作
重量約1.6トン
東組神輿と、春日大神と若宮大神とを毎年交互に遷御し氏子区内を巡幸する
<淳和院離宮>
淳和天皇が仁明天皇に譲位した後に住まわれた離宮
当時の遺構が発掘されており、規模の大きな離宮であったことが判明している
「西院」とも称され、この付近の地名の由来となった
<春日通>
西大路通の1つ西にある南北の通り
2009年(皇紀2669)平成21年
「佐井通」から「春日通」に変更される