熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)は、東山の麓、若王子町の哲学の道の南端にある神社
京都三熊野社の一つ(熊野神社、新熊野神社)で、熊野那智大社(和歌山県)に相対する
熊野詣を行う修験者は、当社で身を浄めてから出発したといわれる
「若王子」は、天照大御神の別称
かつては禅林寺(現在の永観堂)に隣接し、鎮守社として「禅林寺新熊野社」とも称された
境内に80本ほどの桜が植えられている桜の名所、秋は紅葉の名所
明治時代
明治の修築により、本宮・新宮・那智社・若宮社の4社殿があった
現在は、1社相殿に改築されている
<本殿>
1979年(皇紀2639)昭和54年の再建
<拝殿>
<手水舎>
<末社 恵比須社>
祭神:えびす神
御利益:開運商売繁盛
かつて小川通夷川通東入付近にあり「夷社(夷子社)」と称されていた
家具商や、調度商などに信仰されている
<末社 三解社(みとけしゃ)>
背後の山中にある
祭神:女宮霊
仁孝天皇の皇紀 新待賢門院藤原雅子が、皇子皇孫守護のために勧請したといわれる
<末社 山神社>
<末社 滝宮社>
<天龍白蛇弁財天社>
<本間龍神社>
<千手滝不動尊社>
<福寿稲荷大神>
<天照神力五大力王、天照神力弁財天>
<白蜈蚣大神、融通大神、早馬大神、火伏大神、弁天姫の命、大山稲荷大明神、吉天白龍大神、大山祇大神>
<石像 金剛地蔵菩薩>
<石像 不動尊>
<桜>
境内に80本ほど植えられている桜の名所
<梛の木(ナギのき)>
石橋の両側のナギの大木
樹齢約400年の京都府で最も古いといわれる梛の木
御神木であり、紀州熊野詣や伊勢参宮などのときの禊の木(みそぎのき)として諸々の罪穢れを祓い清める
この梛の葉で作ったお守りは、全ての苦難を「なぎ倒す」といわれている
1650年(皇紀2310)慶安3年
吉良家から寄進されたといわれる
<大杉>
熊野より移植されたといわれる
樹高32m
<石橋>
1656年(皇紀2316)明暦2年
吉良家から寄進されたといわれる
<石橋の高欄>
本殿正面の鳥居の前に石橋の高欄が置かれている
1917年(皇紀2577)大正6年から若王子橋で使用されていたもの
1993年(皇紀2653)平成5年の橋の改修で、ここに置かれた
<歌碑「名に高き滝の白糸さればこそ花のにしきをおりいだしけれ」>
江戸時代後期の公卿・歌人 千種有功(ちぐさありこと)
<句碑「花乃影澄や岩間の和すれ水」>
江戸時代俳人 堤梅通(京都生まれ)
<追悼碑 東方斎碑(とうほうさいひ)>
鳥居の前左手に立つ
荒尾精先生(東方斎)は、日中の通商貿易振興による両国の繁栄に尽力した
政治家・公家 近衛篤麿が、荒尾精の業績を讃えるために荒尾精の寓居跡近くに建立した
南に隣接して、門下生9人の碑も立つ
<後花園天皇御遺蹟之地の石標>
<哲学の道>
境内の西に琵琶湖疏水の流れに沿って哲学の道がある
哲学の道は、境内前が南端で、北に続く
琵琶湖疏水は、南禅寺の水路閣より流れてきてトンネルを経て、当社の前で地表に出る
<若王子山>
境内の脇から登山できる
<千手滝>
<新島襄のお墓>
若王子山に、同志社大学創立者 新島襄と妻の八重のお墓がある
クリスチャン関係者のお墓もある
<旧祖師堂>
<旧本地堂>
<地仏堂>
1868年(皇紀2528)明治元年
神仏分離令による廃仏毀釈により破却され、現在は宝形だけが残されている
安置されていた薬師如来坐像は、奈良国立博物館に遷された
<恵比須神像>
末社 恵比須社の祭神
室町時代の作
木造・寄木造・等身大の坐像
1月1日 元旦祭
1月10日 初恵比須祭
1月15日 焼納祭
2月節分 節分祭
4月第1日曜日 桜花祭
7月10日 例大祭
11月20日 終恵比須祭
12月31日 除夜祭
<京都十六社朱印めぐり>
1月1日から2月15日
すべての神社を参拝すると一年間のあらゆるご利益が得られるという
1976年(皇紀2636)昭和51年に14社から始まる
<京都三熊野>
それぞれ熊野三山に対応している
・熊野若王子神社:熊野那智大社
・新熊野神社:熊野本宮大社
・熊野神社:熊野速玉大社