真名井神社(まないじんじゃ)は、宮津市の天橋立の北 籠神社の北東約400mのところにある奥宮
降臨された天照国照彦火明命が、「真名井原」と称されるこの地を、豊受大御神(天之御中主神)を祀る場所として選ばれた
日本最大級の聖地とされる
宮中に祀られていた天照皇大神が現在の伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に鎮まるまで日本各地24ヶ所を転々とされた一ヶ所で
「元伊勢」と称される
本殿の裏には、多くの磐座がある
<本殿>
一間社神明造、桧皮葺の屋根
本殿は、参道から磐座が直接見えないように建っている
本殿の裏手には、神さんが磐座から本殿にお移りになるときに使われる神様用の出入口がある
<真名井>
境内に入ってすぐのところ
岩石から神水「天地根源眞名井の水」が涌き出している
豊受大御神を祀るのにこの地が選ばれた理由の一つに、この神水が湧き出ていたからといわれる
彦火明命(ほあかりのみこと)(海部氏始祖)から三代目の天村雲命が高天原に参い登って、
神々がお使いになる天の眞名井の水を黄金の鉢に入れて持ち帰り、その霊験を伝えている神水といわれる
豊受大御神のお顔は藤の花で、その御霊(みたま)は天の眞名井の水といわれる
<真名井原 波せき地蔵堂>
大宝年間(701年〜704年)
大地震の大津波が押し寄せてきたとき、ここで切り返したといわれる
以後、天災地変から守る霊験と、子育て・病気除けのご利益があるといわれる
日本の原点となる真名井の神さんへのお取次ぎもされるといわれる
<狛龍>
左手に金の玉、右手に銀の玉を持っている
籠神社と持っている玉の色が反対になってる
磐座は神さんが宿っているとされ、神代から崇拝されてきた神岩
<磐座主座>
祭神:豊受大御神(別称:天之御中主神・国常立尊・倉稲御魂神)
相殿:罔象女命・彦火火出見尊・神代五代神
本殿の後方、右側にある
「天御中主大神霊畤」の石碑がある
<磐座西座>
祭神:天照大御神
配祀:伊邪那岐命・伊邪那美命
本殿の後方、左側にある
「天照大神小宮霊畤」の石碑がある
<大綿津見神磐座>
祭神:大綿津見神(おおわたつみのかみ)
境内東側後方にある
<宇迦之御魂磐座>
祭神:宇迦之御魂神(稲荷大神)
大綿津見神磐座の左側にある
<鹽土老翁磐座>
祭神:鹽土老翁(しおつちのおじ)(住吉同体)(大綿津見神)(豊受大御神)
宇迦之御魂磐座の左にある
<磐座群>
祭神:熊野大神(須佐之男神)・愛宕大神・道祖神
鹽土老翁磐座の奥にある
<産盥(うぶたらい)>
岩の上面に水が溜められるような窪みがある
<経塚遺跡>
平安時代末期から鎌倉時代初期の遺物
本殿の背後約3.6m、地中深さ約0.6mの地点から出土した
「1189年(皇紀1849)文治5年」の銘を有する銅製経筒が、銅鏡・刀子などと共に出土する
<例祭(真名井祭)>
10月15日
<龍宮神示>
1938年(皇紀2598)昭和13年
大本の信者の辻天水と三雲竜三の両名が真名井神社に参拝したとき、
突然、三雲竜三が神懸り状態となり、辻天水の審神により、真名井神社の眷属の龍神が降りたことが判明した
それ以後、龍神は、1943年(皇紀2603)昭和18年に至るまで神示を伝達し続けました
このことにより、境内には、狛龍が安置されている
<神紋 籠目紋(六芒星)>
かつて石碑などにも刻まれていた籠目紋(六芒星)の神紋
籠目紋は「ダビデの星」とも称されイスラエルの国旗にも描かれている
現在は、石碑などから籠目紋は削り取られ、籠神社の神紋と同じ「三つ巴紋」に変更されている
<天橋立>
高天原にいた伊射奈岐大神が、この地 真名井原にいる伊射奈美大神に会いにいくために、
地上に「天浮橋」という梯子を立てて通っていたが、その梯子が倒れたものが天橋立をされる
<元伊勢伝承>
「日本書紀」によると、
宮中に祀られていた天照皇大神が現在の伊勢神宮の皇大神宮(内宮)に鎮まるまで日本各地24ヶ所を転々とされた
宮中を出た後、大和の笠縫邑に遷り、その後、但波(たんば)の吉佐宮(よさのみや)に遷ったといわれる
その吉佐宮が真名井神社とされる
吉佐宮の後、大和国の伊豆加志宮(現在の奈良県桜井市の天神山南麓)に遷られる
なお、吉佐宮は、福知山市大江町の元伊勢内宮皇大神社と、丹後町の竹野神社もその候補地とされる