天菩比神(アメノホヒノミコト)は、天穂日命神社などに祀られている、日本神話に登場する天津神(あまつかみ)
須佐之男命と天照大御神が、高天原の天安河(あめのやすのかは)で、誓約をしたときに、
天照大御神が右の御美豆良(みみづら)に巻いていた八尺勾瓊(やさかのまがたま)から生まれる
天孫降臨の前に、葦原中国の平定のために大国主命の元に派遣されたが、大国主命に媚びついて3年たっても帰ってこなかった
その後、出雲(島根県松江市)の守護神として伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る神魂神社を建て、
その子孫の建比良鳥命は出雲国造の祖神となったとされる
農業の神さん、稲穂の神さん、養蚕の神さん、木綿の神さんなどとして信仰されている
<「古事記」に登場する段>
天照大御神と須佐之男命の誓約
「古事記」によれば
<天照大御神と須佐之男命の誓約>
須佐之男命が、姉の天照大御神がいる高天原に昇っていったときに、天照大御神が天安河(あめのやすのかは)で待ちうけ、
「何故、上って来た」と問う
須佐之男命は、潔癖を証明するために、宇気比(うけひ)(誓約)をして子を生むことを提案する
須佐之男命は、天照大御神の左の御美豆良(みみづら)に巻いていた八尺勾瓊(やさかのまがたま)
五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠をもらい、天の真名井ですすいで、噛みくだいて吹き出すと、
狭霧(さぎり)のから正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)が現れる
次に、右の御美豆良に巻いていた珠から、天之菩卑能命(アメノホヒノ)
髪に巻き付ける頭飾りに巻いていた珠から、天津日子根命(アマツヒコネ)
左の御手に巻いていた珠から、活津日子根命(イクツヒコネ)
右の御手に巻いていた珠から、熊野久須毘命(クマノクスビ)、併せて五柱が生まれる
そして、天照大御神は、「この五柱の男子は、私の物から生まれたので、私の子である」という
そして、天菩比命(アメノホヒ)(天之菩卑能命)の子、建比良鳥命(タケヒラトリ)は、出雲国造(いづものくにのみやつこ)、
无邪志国造(むさしのくにのみやつこ)、上菟上国造(かみつうなかみのくにのみやつこ)、
下菟上国造(しもつうなかみのくにのみやつこ)、伊自牟国造(いじむのくにのみやつこ)、津嶋縣直(つしまのあがたのあたひ)、
遠江国造(とほつあふみのくにのみやつこ)等の祖とされる
<葦原中国の平定>
天照大御神は、
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみづほのくに)は、我が御子、
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)が治めるべき国である」として天降りさせようとする
しかし、天忍穂耳命が、天浮橋(あめのうきはし)に立ったが、葦原中国がひどく騒がしくて降りれなかった
そこで、高御産巣日神(タカミムスヒ)と、天照大御神は、天安河(あめのやすのかは)の河原に、
八百万神(やほよろづのかみ)を集め、思金神(オモヒカネ)に、「何れの神を使はして説得させようか」と問うと、
思金神は、「天菩比神を遣はすべきでしょう」と答えた
それで、天菩比神を遣わしたが、大国主命に媚びついて、3年しても報告がなかった
<出雲国造>
天菩比神は、大国主命に使え、後に、大国主命が出雲大社に祀られたときに祭祀の祭主となられ、
その子孫は、出雲国造の祖として栄える
<出雲一族>
出雲一族は、天穂日神(天菩比神)を祖神とし、出雲東部の意宇群を支配する豪族
天穂日神は、国土開発、産業振興の守護神として、農業・養蚕・絹糸・木綿の神ともされる
<野見宿祢>
天穂日神(天菩比神)の14世の孫にあたる
石津神社(堺市)の神主も務められる
<菅原道真>
野見宿祢の子孫に当たる
菅原道真を祀る北野天満宮にも御后三柱(ごこうのみはしら)として天穂日神を祀る末社がある