熊野大神(クマノノオオカミ)は、熊野三山の主祭神を一神として信仰する尊称
神仏習合により、熊野権現(くまのごんげん)とも称される
出雲の熊野大社の主祭神の加夫呂伎熊野大神櫛御気野命(カムロギクマノオオカミクシミケヌノミコト)も熊野大神と称される
熊野三山の主祭神の三神を一神として「熊野大神」と尊称される
熊野大神を一神として、須佐之男神と同一視されている
<熊野三山の主祭神>
三山では、主祭神と一緒に、相互に祭神を勧請しあい祀られている
熊野本宮大社の御祭神は須佐之男神、家都美御子神(ケツミミコノカミ)、阿弥陀如来
熊野速玉大社の御祭神は伊邪那岐命、速玉神(ハヤタマノカミ)、薬師如来
熊野那智大社の御祭神は伊邪那美命、夫須美神(フスミノカミ)、千手観音
平安時代中期頃
神名が明確ではなく、単に「熊野坐神(クマノニマスカミ)」とだけ称されていたが、
本宮大社の祭神が、家都美御子神と称されるようになった
<熊野権現(くまのごんげん)>
本地垂迹思想により、熊野大神を、熊野権現とも称される
また、それぞれの祭神も、それぞれの仏さんの化身とされる
<熊野三所権現>
熊野大神の三神の仏教的な総称
<熊野十二所権現>
熊野三所権現を含めて、12の神々の仏教的な総称
「中右記」1109年(皇紀1769)天仁2年10月26日条には、
五所王子、一万眷属、十万金剛童子、勧請十五所、飛行夜叉、米持(めいじ)金剛童子の名前が記される
鳥羽院・待賢門院の参詣記の1134年(皇紀1794)長承3年2月1日条には、
「中右記」に記されていた十二所権現と、その本地仏が記されており、
この頃には、熊野三所権現、熊野十二所権現が確立していたといわれる
熊野大神は、日本全国の神社に勧請されており、熊野神社、十二所神社は約3千社あるといわれる
<熊野神社>
祭神:伊弉冉尊
配祀:伊弉諾尊、天照大御神、速玉男命(はやたまのをのみこと)、
事解男命(ことさかのをのみこと)
<真名井神社>
磐座群の祭神:熊野大神(須佐之男神)・愛宕大神・道祖神
<霊明神社>
主祭神の一柱
<熊野の浄土の地>
熊野全体が、浄土の地であるとみなされていた
本宮大社は、西方極楽浄土の地で、阿弥陀如来が住む
速玉大社は、東方浄瑠璃浄土の地で、薬師如来が住む
那智大社は、南方補陀落浄土の地で、千手観音が住む
<熊野信仰>
「伊勢へ七度、熊野へ三度」といわれる
<八咫烏(やたがらす)>
八咫烏は、神話の中では神武天皇が熊野の山中で遭難をしかかった時に、路を導いたといわれる三本足の鳥
八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている