邇邇芸命(ニニギノミコト)は、日本神話に登場する天津神(あまつかみ)
天照大御神の孫で、高天原(たかあまはら)から葦原中国(あしはらのなかつのくに)へ降臨した(天孫降臨)
「番能邇邇芸(ホノニニギ)」は、「稲穂が豊かに実る」という意味があり、農業の神さんとして信仰されている
「古事記」によれば
<天孫降臨>
邇邇芸命は、天照大御神の命により、葦原中国を統治するため高天原から地上に降りる
「古事記」では、降臨の地を「竺紫の日向の高穂の久士布流多気に天降りまさしめき」と記載されている
「日本書紀」では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」と記載されている
降臨した時期は、「日本書紀」では、神武天皇即位年より179万2470余年前のこととされている
当初は、天照大御神の息子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカつアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)が降臨することに
なっていたが、葦原中国が平定される間に、天忍穂耳命と万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)との間に
邇邇芸命が生まれ、天照大御神と高木神(別天神の高御産巣日神)は、邇邇芸命を降ろして統治させることにする
邇邇芸命の天孫降臨には、5つの職業集団の長として5柱の五伴緒(いつとものお)がお供する
天児屋命・布刀玉命(フトダマ)・天宇受賣命・伊斯許理度売命(イシコリドメ)・玉祖命(タマノオヤ)
また、三種の神器(八尺瓊勾玉・八咫鏡・天叢雲剣)を持った3柱が随行する
思金神(オモヒカネ)・手力男神(タヂカラオ)・天石門別神(アマノイワトワケ)
天降りしようとした途中に、猿田毘古神が、高天原から葦原中国まで照らして待っていた
天宇受賣命に声をかけられた猿田毘古神は、邇邇芸命の降臨の道案内をする
<妻と子供>
邇邇芸命は、笠沙の岬(かささのみさき)で、木花佐久夜毘売と出会い求婚する
木花佐久夜毘売の父親の大山津見神は、姉の石長比売(イワナガヒメ)も一緒に、贈り物を持たせて嫁がせる
邇邇芸命は、醜かった石長比売を返してしまう
そのため、石長比売は石のように永遠の命を持っていたが、邇邇芸命や子孫は、木花佐久夜毘売の「木の花」のように
はかない寿命になってしまう
邇邇芸命と木花佐久夜毘売は、一夜の契りを結び、すぐに妊娠する
邇邇芸命に他人の子供と疑われた木花佐久夜毘売は、産殿を作り、中に閉じこもり火をつけて3柱を産む
火照命(ホデリ)・火須勢理命(ホスセリ)・火遠理命(ホヲリ)
<埋葬地>
「筑紫の日向の可愛の山陵」に葬られたとされる
1874年(皇紀2534)明治7年
鹿児島県薩摩川内市の新田神社が可愛山陵であると治定される
1896年(皇紀2556)明治29年
宮崎県東臼杵郡北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」
宮崎県西都市西都原古墳群にある男狭穂塚を「可愛山陵参考地」と定められた
「古事記」では、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコホノニニギ)
「邇岐志(ニギシ)」「邇邇芸(ニニギ)」は、「ニギニギしい」「賑やか」という意味がある
「天邇岐志国邇岐志(アメニギシクニニギシ)(天にぎし国にぎし)」は、「天地が豊かに賑う」という意味
「天津日高(アマツヒコ)」は、天津神のこと
「日子(ヒコ)」は、男性のこと
「番能邇邇芸(ホノニニギ)」は、「稲穂が豊かに実る」という意味がある
祖母:天照大御神
父親:天照大御神の息子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
母親:高皇産霊尊(高木神)の娘の万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)の子
兄:天火明命(アメノホアカリ)
妻:木花佐久夜毘売(大山津見神の娘)
子供:火照命(海幸彦)
子供:火闌降命
子供:火遠理命(山幸彦)
ひ孫:神武天皇(火遠理命の孫)