豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)は、神宮豊受大神宮(外宮)に祀られている、日本神話に登場する天津神(あまつかみ)
天照大御神の御饌の神として、食物・穀物を司る女神とされる
<「古事記」に登場する段>
伊邪那岐命と伊邪那美命の神生み
天孫降臨
「古事記」によれば
伊邪那岐命と伊邪那美命が国を生み終えて、更に神を生む
多くの神を生み、次に尿(ゆまり)から生める神の名は、和久産巣日神(ワクムスビノカミ)、
この神の子は、豊宇気毘売神(トヨウケビメ)という
邇邇芸命の「天孫降臨」のとき、
天児屋命、布刀玉命(フトダマ)、天宇受賣命、伊斯許理度売命(イシコリドメ)、玉祖命(タマノオヤ)の
五伴緒(いつとものを)(5つの職業集団の長)を加へて天降った
そして、遠岐斯(おきし)、八尺勾瓊(やさかのまがたま)と鏡、草那芸剣(くさなぎのつるぎ)、
また、常世思金神(トコヨノオモヒカネ)、手力男神(タヂカラヲ)、天石門別神(アメノイハトワケ)を添える
次に、思金神には、「我が身のことを思って祭祀をしなさい」と仰せになった
次に、登由宇気神(トユウケノカミ)、これは外宮之度相(とつみやのわたらひ)に坐す神である
豊受大神宮(外宮)の社伝「止由気宮儀式帳」によると、
雄略天皇22年
雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、
丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神の等由気大神を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、
丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたといわれる
「丹後国風土記」逸文によると
奈具社の縁起として
丹波郡比治里の比治山の真奈井の井戸で天女8人が水浴をしていた
その時、和奈佐老夫、和奈佐老婦という老夫婦が、1人の天女の羽衣を隠してしまう
天に帰れなくなった天女は、そのためその老夫婦の家に住むことになる
その天女は、酒を造るのが上手く、その酒が高く売れ、老夫婦は金持ちになるが、
十数年後には邪魔にされ家を追い出されてしまう
その後、転々とした後に、竹野郡船木郷奈具の村に鎮まった
この天女が豊宇賀能売神であるという
<豊受大神宮(外宮)>
<多賀宮>
豊受大御神荒御魂を祀る
<西梅津明神社>
<真名井神社>
<籠神社>
<元伊勢豊受大神社(福知山市大江町)>
<御饌の神>
御饌(みけ)とは天照大御神の食べる食物のこと
神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神
<宇迦之御魂大神(稲荷神)>
豊受大御神と同じ食物神であるということと、「うけ」「うか」という発音の類似性から、稲荷神の宇迦之御魂大神と習合し、
同一視されるようになる
<天之御中主神(国常立神)>
豊受大神宮(外宮)の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)によると、
豊受大御神は、この世に最初に現れた最初の神の天之御中主神(国常立神)と同神とされる
<月の輪田>
京丹後市峰山町
豊受大神が丹波で稲作を始めたとされる半月形の月の輪田や、籾種をつけた清水戸(せいすいど)がある
これにより、この地が「田庭」と称されるようになり、「田場」「丹波」「但馬」などと変わっていったとされる
また、京丹後市の久次嶽の中腹には、天の真名井の跡とされる「穂井の段(ほいのだん)」、
「大饗石(おおみあえいし)」と称される直方体の岩倉(いわくら)が残っている