三嶋大社(みしまたいしゃ)(MishimaTaisya)

所在地:静岡県三島市大宮町   鳥居地図情報鳥居

祭神:大山祇神・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
配神:阿波神・伊古奈比咩命・楊原神

社格式内社(名神大社)、官幣大社、伊豆国一の宮・総社、別表神社

 三嶋大社(みしまたいしゃ)は、静岡県三島市にある神社

 全国にある三島神社の総本社

 社名・神名の「三嶋」は、この地の地名になっている

【三嶋大社の歴史・経緯】

【三嶋大社の祭神】

 <三嶋大明神(みしまだいみょうじん)>
 主祭神
 大山祇神と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の二柱の神を総じて称する
 大山祇神は山森農産の守護神、また事代主神えびす神ともされ、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬を受けている

 三嶋大明神は、大山祇神とする説が有力だったが、
 1873年(皇紀2533)明治6年
 祭神を、平田篤胤が「二十二社本縁」の賀茂社条にて唱えた説により、事代主神に改めた
 1952年(皇紀2612)昭和27年
 大山祇神説・事代主神説ともに定説とはなりがたく、また二神とも当地と因縁が深いため、現在の二神同座に改められた

 <阿波神>
 配神
 三嶋明神の后

 <伊古奈比咩命>
 配神
 三嶋明神の后

 <楊原神>
 配神

【三嶋大社の境内】

 <大鳥居>

 <総門>
 建築中に伊豆地震にあい、1931年(皇紀2591)昭和6年3月に建立された

 <神門>
 1867年(皇紀2527)慶応3年8月10日の竣工

 <本殿(重要文化財)>
 総欅素木造(そうけやきしらきづくり)、流造、高さ約16m
 名工 小沢半兵衛・小沢希道親子とその門弟のほか、後藤芳冶良らにより彫刻が施されている
 1854年(皇紀2514)嘉永7年11月4日、東海地震で崩壊する
 1866年(皇紀2526)慶応2年9月9日に再建される

 <幣殿(重要文化財)>
 本殿と拝殿を接合する建物部位
 1866年(皇紀2526)慶応2年9月9日に再建される

 <拝殿(重要文化財)>
 本殿と幣殿の手前に位置する建物
 1866年(皇紀2526)慶応2年9月9日に再建される

 <舞殿>
 本殿の手間にある
 中国 元の郭居業(かくきょぎょう)がまとめた物語「二十四孝」の親孝行の説話を題材にした彫刻が巡らされている
 欄間と、その上の小壁に1話ずつ、1面に3組6話を配し、四方で24話が彫られている
 1866年(皇紀2526)慶応2年12月18日の再建

 <芸能殿>
 1868年(皇紀2528)慶応4年2月11日に再建された旧総門
 戦後に再建され、一部改造されて芸能殿とされた

 <神馬舎>
 1868年(皇紀2528)慶応4年7月10日の建立
 三嶋大社の神馬は、毎朝、神さんを乗せて箱根山に登るといわれている

 <弓道場>
 2008年(皇紀2668)平成20年8月11日に改築された

 <宝物館>

 <矢田部盛治の像>
 1854年(皇紀2514)嘉永7年11月の東海大地震で崩壊した社殿を10年の歳月をかけて復興した
 1954年(皇紀2614)昭和29年の建立

 <金木犀(キンモクセイ)(国の天然記念物)>
 樹齢1200年を超えるといわれている巨樹

 <頼朝腰掛石>
 1180年(皇紀1840)治承4年
 源頼朝が、平家追討の祈願のために百日参りをしたときに、腰をかけて休息したといわれる石

 <北条政子腰掛石>
 頼朝腰掛石の右側にある

 <たたり石>
 三嶋大社前の旧東海道の中央にあり、行きかう人々の流れを整理する役目(たたり)を果たしていた
 その後、往来が多くなり、この石を取り除こうとすると災いが起こり、「たたり」が「祟り」と称されるようになった
 1914年(皇紀2574)大正3年
 内務省の道路工事によって掘り出され、交通安全の霊石として現在の地に置かれる
 三島七石の一つ

 <神鹿園>
 多くの鹿が飼育されている

 <芭蕉句碑>
 「どむみりと 棟や雨の 花曇」
 1694年(皇紀2354)元禄7年5月14日
 三嶋大社に参拝した松尾芭蕉が、江戸に残してきた病床の妻 すての身を案じて詠んだといわれる

 <若山牧水の歌碑>
 1920年(皇紀2580)大正9年8月15日に行われた三嶋大社の夏祭の花火を見て詠まれた歌
 「のずえなる 三島のまちの あげ花火 月夜のそらに 消えて散るなり」

 <相生松>
 大鳥居からの参道、池のほとりに立つ
 黒松と赤松が一つの根から生え出ている

【三嶋大社の摂末社】

 <厳島神社>
 祭神:市寸島比売命
 北条政子が勧請したといわれる
 家門繁栄・商売繁盛・安産・裁縫の守護神とされる

 <摂社 若宮神社>
 <摂社 見目神社>

 <末社 船寄社>
 <末社 飯神社>
 <末社 酒神社>
 <末社 第二社>
 <末社 小楠社>
 <末社 大楠社>
 <末社 天神社>
 <末社 聖神社>
 <末社 第三社>
 <末社 幸神社>

 <末社 伊豆魂神社(いづたまじんじゃ)>
 伊豆一円の戦没者の御霊2372柱が祀られている

【三嶋大社の文化財】

 <梅蒔絵手箱及び内容品一具(国宝)>
 源頼朝の妻 北条政子の奉納といわれる蒔絵手箱
 入念に漆を塗り重ね、金粉を濃密に蒔きつける沃懸地(いかけじ)の技法により豪華に仕上げられている
 蒔絵の基本技法(平蒔絵・研出蒔絵・高蒔絵)の完成を示す作品とされる
 本体の手箱の他に、鏡・鏡箱・白粉箱・歯黒箱・薫物箱・螺鈿櫛・銀軸紅筆・銀挟など化粧道具がほぼ揃った最古の遺品とされる
 蓋表には、梅の老木や几帳や群遊ぶ雁をあらわし、銀の薄板によって「榮・傳・錦・帳・雁・行」の文字がある
 唐の詩人 白居易が、友人と共に昇進を遂げた慶びを詠った漢詩の一節からとったもの
 内容品30数点を含め、全て国宝に指定されている

 <太刀 銘 宗忠(重要文化財)>
 鎌倉時代初期、備前国福岡一文字派の刀工 宗忠(むねただ)の作
 地鉄は澄んで、「備前もの」特有の淡い映りが立ち、刃文は小丁子文(こちょうじもん)で、初期福岡一文字派の典型的な作風
 茎(なかご)には細鏨(ほそたがね)で「宗忠」の二字銘が切られている
 1887年(皇紀2547)明治20年6月5日、明治天皇より奉納されたもの

 <脇指 銘 相模国住秋義(重要文化財)>
 南北朝時代、相模国の刀工 秋義の作で、現存する作刀例が少なく貴重なもの
 銘によって、佐藤貞成という人物から三嶋大社に奉納されたことが分かる
 表が平造り、裏が菖蒲造りの珍しい形状
 地肌は板目が流れ、刃文は表がのたれに丁字混じり、裏は皆焼風に煮え崩れ、帽子は深く焼き下げている

 <紙本墨書 般若心経源頼家筆 建仁三年八月十日(重要文化財)>
 現存する源頼家の唯一の自筆書とされる
 病気と政治の軋轢(あつれき)に苦悩する中、般若心経が写経され、8月10日に三嶋社に奉納された

 <三嶋大社矢田部家文書(重要文化財)>
 「三嶋大社所蔵文書」155点、「矢田部家所蔵文書」437点、総計592点の古文書

【三嶋大社の祭事】

 <元始祭> 1月3日
 <節分祭> 2月節分
 <紀元祭> 2月11日
 <祈年祭> 2月17日
 <夏越大祓祈願祭> 6月30日

 <八坂大神神輿渡御祭>
 7月8日
 三嶋大社の鬼門除の神様である八坂大神を賀茂川神社から三嶋大社に奉安される
 1週間、三嶋大社で祀られる
 7月15日
 出御祭が行われ、市内を巡行して町内安全・疫病鎮護の祈願が行われ、還幸祭が行われる

 <酉祭>  11月16日
 <新嘗祭> 11月23日
 <大祓式・除夜祭> 12月31日

【三嶋大社へのアクセス】

 JR東海東海道本線・東海道新幹線 三島駅 徒歩約10分
 伊豆箱根鉄道 駿豆線 三島田町駅 徒歩約5分
 沼津登山東海バス 大社前 徒歩すぐ

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