宮川神社(みやがわじんじゃ)は亀岡市の西部、宮前町宮川にある神社
372号線を西へ進む、宮川交差点付近から西へ入った場所
山頂に金輪寺のある神尾山(神野山)の東麓の集落の山側に境内がある
下鴨神社の母神を祀り、賀茂氏ゆかりの神社といわれる
毎年、下鴨神社の葵祭の行列に、氏子青年20人ほどが諸役として奉仕している
延喜式神名帳の桑田郡 神野神社とされる
古墳時代
571年(皇紀1227)欽明天皇32年
誉田別尊(八幡大神)が、宇佐八幡宮より神野山の山中に勧請され祀られたといわれる
現在、その社地は「八幡平(はちまんだいら)」と称される
飛鳥時代
大宝年間(701年〜704年)
伊賀古夜姫命が、宮川の神尾山山中に祀られる
本殿の裏には、巨大な磐境があったといわれる
延喜式の桑田郡 神野神社に比定されている
安土桃山時代
1577年(皇紀2237)天正5年
明智光秀による丹波平定のときに、八上城の波多野秀治・波多野秀尚兄弟と合戦になり、
八幡宮と神野神社の両社とも焼失する
その後、村での落雷・不作が続いたといわれる
江戸時代初期
1647年(皇紀2307)正保4年
山麓の現在の地に社殿が創建され、神野山の二柱を遷座して合祀し「宮川神社」に改められる
祭神は、二座
<伊賀古夜姫命(いかこやひめのみこと)(伊可古夜日女)>
下鴨神社の祭神 玉依媛命の母神
毎年、下鴨神社の葵祭の行列に、氏子青年20人ほどが諸役として奉仕している
「山城国風土記」逸文によると、
「久我国(こがのくに)の北の山基(やまもと)に定り坐しき。その尓時より、名づけて賀茂と曰へり。
賀茂建角身命が、丹波国の神野神 伊賀古夜日売に娶ひて生みませる子、名を玉依日子と曰し、次を玉依日売と曰す。」とある
日向国曽の峰に降臨した賀茂建角身命は、神武天皇を先導して大和の葛木山に宿り、さらに山城国岡田の賀茂に移り、
その後、久我国の北山基に鎮座する
丹波国神野神の伊賀古夜姫命を娶り、玉依日子・玉依日売の一男一女が生まれたという
<誉田別尊(八幡大神)>
<石鳥居>
<石標「延喜式内 宮川神社」>
<拝殿>
<本殿>
檜皮葺、流造
<磐座(いわざ)>
本殿の裏山にある
<末社>
本殿の左手に奥の林に続く小道の途中にある
貴船大神や、祭神の娘神 玉依媛命が祀られている
<金輪寺>
裏山の神尾山(神野山)の山頂にある
宮川神社の神宮寺
山上にあった式内社の神野神社は、金輪寺の地主社とされていた