桃山天満宮(ももやまてんまんぐう)は、伏見 御香宮神社の境内の入口寄り右側にある独立の神社
伏見城城下の前田利家の屋敷内に祀られていた経緯がある
<本殿>
<幣殿>
<拝殿>
<厳島社>
<三社>
左側から老松社・白大夫社・紅梅殿
<稲荷社>
<伏見城跡残石>
伏見城の石垣だった大石が積まれている
<石碑「桃山天満宮碑」>
菅原道真千年祭にあたり、再興の経緯を記して記念とした石碑
建立年:1906年(皇紀2566)明治39年
大きさ:高172 × 幅113 × 奥行30cm
碑文:[南]
此の天満宮社はし応永のむかし伏見石井庄に鎮座豊公桃山城を造営み諸藩邸を造らしめらるゝ加賀前田侯邸内なるは
遠祖の縁に依て祠を改造祭祀も荘厳に挙行れしを時世変遷さしも殷盛なりし桃山城は荒さるあはれ
祠宇も葎の中に朽果なむ状なるを観音寺住職山本教覚工匠阪田岩次郎は赤心を振起し教覚は資金を募集
篤志者本谷市造之を賛敬和次郎は工事を負担
廿年間一日の如く共に労き天保十二年此所に瑞の神殿美しく造竟遷し奉しは最も愛き事なりけり然を
許々多の年月を経て甚く破損しかは社掌矢野弟一郎有志の人々と謀り
修理ひ奉り又社務所社標玉垣等新設明治三十五年六月千年の大祭仕奉ぬ如此社頭の光輝のます随に神威も
いよいよ益曜き渡るらん 今般岩次郎男忠兵衛発起て此事跡を碑になしけるになん
明治三十九年三月 鳥羽重晴
撰者:鳥羽重晴(真幡寸神社社司)
<松尾芭蕉・向井去来の歌碑>
松尾芭蕉
「梅の香(か)に のっと日の出る 山路かな」翁
向井去来
「應々(おうおう)と いえと敲くや(たたくや) 雪の門(かど)」去来
<大工道具一式 60点>
江戸時代後期
20年間かかった社殿の造営後に、 大工 阪田岩次郎により奉納されたもの
<渡唐天神図>
室町時代の作