向日神社(むこうじんじゃ)は、向日市の物集女街道(もずめかいどう)(西国街道)沿いにある神社
向日丘陵南端部で乙訓の地域を一望できる地にある
平安時代以前から向日山に鎮座されていた上ノ社(向神社)、下ノ社(火雷神社)が由来で、
両社とも延喜式神名帳に記されている式内社
明治神宮の本殿は、向日神社の本殿を基に1.5倍にして設計されている
<向日神>
「上ノ社」と称される
大歳神の御子 御歳神が、この山に登られた時、この山を「向日山」と称され、
この地に永く鎮座されて、御田作りを奨励された
向日山に鎮座されたことにより、御歳神を「向日神」と称されるようになる
五穀豊穣の神さんとして、朝廷の崇敬を受ける
<火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)>
「下ノ社」と称される
神武天皇が、大和国橿原より山城国に移り住まれた時に、故事に基づき、
向日山の山麓に社を建てて火雷大神を祀られたといわれる
祈雨・鎮火の神さんとして朝廷の崇敬を受ける
火雷大神は、上賀茂神社の賀茂別雷大神の親神様とされる
<鳥居>
京都府道67号(アストロ通)に面して大鳥居が立っている
<参道>
鳥居から長い石畳の参道があり、桜・ツツジ・カエデなどの並木が繁っている
<舞楽殿>
<拝殿>
<本殿(重要文化財)>
1418年(皇紀2078)応永25年より
向日市域内外の7つの村により、4年かけて建立される
三間社流造(さんげんしゃながれづくり)で、室町時代の流造様式の代表的な建築物
透塀(すかしべい)を囲んで本殿覆屋(おおいや)があり、幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)と連結して、
権現造のような一連の建物になっている
現在は、東面して建っているが、 江戸時代の「山洲名跡志」などには南面して描かれている
明治神宮の本殿は、この本殿を基に1.5倍にして設計されている
<さざれ石>
<夫婦岩>
6つの境内社が立っている
<勝山稲荷社>
祭神:宇迦之御魂神
奥には、元稲荷社がある
商売繁盛の神さんとして崇敬されている
<天満宮社>
祭神:菅原道真、大歳神・屋船神(やふねかみ)
学問成就の神さんとして崇敬されている
<増井神社>
祭神:火雷神の荒魂神(あらみたまのかみ)
御神体は、井戸とされる
<五社>
祭神:大己貴命・武雷神(たけいかづちのかみ)・別雷神(わけいかづちかみ)・
磐裂神(いわさくのかみ)、事代主神
<春日社>
祭神:武甕槌神(たけみかづちのかみ)・齋主神(いわひぬしかみ)・
天津兒屋根尊(あまつこやねのみこと)、姫大神(ひめのおほかみ)
<御霊社>
祭神:伊邪那岐命・伊邪那美命
<祖霊社>
<日本書紀 神代紀下巻(重要文化財)>
904年(皇紀1564)延喜4年
藤原清貫の筆と奥書に印されている
<飾太刀>
天狗久光作の銘がある
<扁額「正一位向日大明神」>
小野通風の筆
<棟札>
応永二五年本殿棟札一枚(1418年(皇紀2078)応永25年)(重要文化財)
慶長二年棟札一枚(1597年(皇紀2257)慶長2年)
<銅印「向日神社政印」>
<朱印状>
豊臣秀吉の御朱印状
徳川歴代将軍の御朱印状
<年頭祭(ねんど)>
各座の長老五人が本殿に招かれる
<索餅祭(さっぺ)>
座により、お餅を薄い円型にした花平(はなびら)と小判型の舌餅が神前にお供えされる
<神幸祭(おいで祭)・還幸祭>
5月第2日曜日
<神官 六人部家>
神官 六人部家は、平安時代以来の家系
幕末維新
六人部是香(よしか)は、平田篤胤(ひらたあつたね)に師事し、多くの著書を残した国学者
倒幕運動の一役を担ったといわれる
<座>
一般的な同業者による商売繁盛を目的とした座とは異なり、珍しいとされる
室町時代
諸豪族が京都近郷に侵攻したことで、農民たちが田畑を強奪されることを恐れ、土地を神社に施入して逃れた
その後、神社に施入した田地を返してもらい、神社に感謝するために組織を作ったのが「座」の由来
各座は、出し合った土地を座の財産として、その収入により座を維持してきた
各座の最年長者は、「総一老」と称され、自治組織として行政も司っていたといわれる
座の行う祭として、年頭祭(ねんど)と索餅祭(さっぺ)が行われる
<元稲荷古墳>
本殿の背後にある古墳
3世紀の後期に、向日山に造られた、京都盆地で最初の古墳
この地は、古くから神聖な場所だった