徳神社(のりじんじゃ)は、亀岡市の南部、竜ヶ尾岳の南山麓、東別院町神原にある神社
南北に伸びる谷間の集落で、亀岡カントリークラブの南端の山麓にある
丹波湖開拓伝説の、丹波国を造るための相談に神々が集まったところとされる
神代の頃
日本の国造りを行っていた大己貴命(大国主命の別名)が、丹波湖を一望できる山頂に立たれ、
この地方を治めていた八柱の神々を、樫田村の黒柄岳のこの地に集めて、
「この山々を切り開き、丹波湖の湖水を山背(現在の京都市)へ流して、豊かな新しい国を造ろうではないか」と相談された
地名の「神原」の由来となっている
当初は、見晴らしの良い山頂に鎮座していたが、いつの時代か、山麓の現在の地に遷座したといわれる
<大山祇命>
古事記では、日本全国の山を統括する神さんの大山津見神とされる
山林・農耕の神さん、村の鎮守として崇敬されている
<石鳥居>
1731年(皇紀2391)享保16年の寄進
<手水鉢>
1730年(皇紀2390)享保15年の寄進
<本殿>
<末社>
本殿向かって右側に2社、左側に1社ある
<石燈籠>
1808年(皇紀2468)文化5年の寄進
<黄金の鶏>
丹波湖開拓のために、神々が集まった山頂の徳神社の旧地には、
「朝日輝き夕日照る所に黄金の鶏が埋めてある」という黄金伝説が伝わっている
<丹波湖開拓伝説>
亀岡盆地は、太古は湖であったといわれ、湖が開拓された伝承が各地に残っている
徳神社は、丹波国を造るための相談に神々が集まったところとされる